陰陽師の安倍晴明は「公務員の”天文博士”だった」国立天文台教授が解説
「狐の子だった」「動物と話ができた」などなど、不思議な逸話に事欠かないのが平安時代を生きた陰陽師・安倍晴明。「実は安倍晴明は公務員の”天文博士”だった」と語るのが、国立天文台水沢VLBI観測所所長の本間希樹氏。世界の科学者たちのスゴい発見とヤバい一面を本間先生が解説した『国立天文台教授がおどろいた ヤバい科学者図鑑』(扶桑社)の中から、意外と知られていない安倍晴明の天文学者としての一面をご紹介していきます。
みなさんは、日本に古くからあった「陰陽師」という仕事をご存じでしょうか? 陰陽師は、映画やマンガの影響か、妖怪や鬼を退治したり、霊能力を使ったりする人だと思われがちです。
しかし、実は、陰陽師とは、飛鳥時代から国の法律で定められている公務員で、陰陽寮という機関で働く人々を意味していました。仕事内容としては、暦をつくったり、時刻を決めたり、はたまた天体観測にもとづいて吉凶を占ったりなど。特に、天体観測と星占いに優れた人は「天文博士」という地位を与えられました。「天文博士」という称号と、「天体観測」という仕事は、わたしのようないまの天文学者とよく似ていますね。
ただし、昔の天文博士といまの天文学者との最大のちがいは、昔の天文博士には「占い」がとても大切だったこと!当時の人は、彗星や客星(=見慣れない星)が出現するなど、夜空に異変があると、「これは悪いことが起こる前触れだ!不吉だ!」と考え、星の動きから未来の不吉な出来事を探ろうとしました。
陰陽師のなかでも特に有名な安倍晴明も、そんな「天文博士」のひとり。彼はとても有能だったため、その子孫も代々陰陽師として活躍し、その家系はなんと明治時代になるまでつづきました。
当時の陰陽師たちが残した記録の一部は、実はいまの天文学の役にも立っています。たとえば、鎌倉時代の貴族・藤原定家は自身の日記『明月記』のなかで、陰陽師から聞いた話として、「平安時代、おうし座に突然明るい客星が現れた」と記しています。この記録のおかげで、「かに星雲」として知られる天体が、実は1000年前に起きた超新星爆発の跡だとわかりました。晴明をはじめとする陰陽師たちののこした記録は、1000年たったいまにも伝わり、研究にも生かされているのです。
一方で、安倍晴明といえば、「鬼退治をした」「式神と呼ばれる使い魔をあやつった」「人の未来がわかった」「母がキツネだった」など不思議なエピソードが山ほどあります。なかでもおかしいのが、小さい頃の晴明の好物は虫だったといういい伝えです。少年時代の彼は、なんと草むらや家にいるクモやイモムシ、ムカデなどを片っぱしから口に入れて食べていたとか。
しかし、子どもの頃は変わり者だったにしても、晴明は陰陽師としてはとても占いの腕がよかったと伝わっています。
当時の天皇が「頭が痛い」とボヤくのを見た晴明は、「天皇の前世だった人物のガイコツがどこかの岩の間に頭が挟まっているのが原因だ」と突拍子もないことをいいました。天皇がそのガイコツを探させ、岩から取りさると、頭痛はピタリと治まったとか……。
「ウソでしょ!」とツッコみたくなる話ですが、晴明は人の悩みを聞き、不安を取りのぞいてあげるのがとても上手な人だったのでしょう。占い上手だったおかげで、晴明はどんどん出世。時代の権力者だった天皇や藤原道長に取りたてられて、84歳で亡くなるまで活躍していたようです。
実は天文の観測をするのが仕事の公務員だった安倍晴明
安倍晴明の子ども時代は「虫が大好物だった」という逸話も
『国立天文台教授がおどろいた ヤバい科学者図鑑』 天文学者39人の“宇宙一おもしろい話" |
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