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サカナクション山口一郎の「燃え尽き」休養。心が壊れるスターたちの苦渋

インタビューで語った「観念的」な内容


 そう考えると、山口一郎の自己言及には危うさを覚えます。国内外のミュージシャン、ソングライターのインタビューを読むことの多い筆者ですが、山口の語る内容はかなり観念的です。  たとえば、ボブ・ディランならばメロディの元ネタやオーギュメントコードの使い方、調性を変えることで曲のトーンも変わるといった具合に、直接音楽に関わる話をします。レナード・コーエンも、「ただテレビを観た、だけではダメだ。どの番組を観たかを書かないと詞にならないんだ」と、ディテールがすべてを決定すると力説します。  山下達郎はドビュッシーを引き合いに出して自身のハーモニーセンスを解説し、奥田民生はアレンジメントの名著『コンテンポラリー・アレンジャー』(ドン・セベスキー著)から必死に学んだ経験を語る。  でも、山口は違うのです。 <僕はミュージシャンなので、音楽の中で、本当に美しいものを作ろうとすると理解されないものになっていく。はるか遠くのものというか、人が手を伸ばそうともしない遠いものになってしまうけれど、それが本当に美しかったら、いつか手を伸ばしてもらえると思うんですよ。> (【永久保存版】サカナクション山口一郎×NEWS23小川彩佳「本当に正しいことはいつも少数」 「NEWS23」スタッフノート 2019年6月6日)

ストイックさゆえに自身を追い込んでしまったのでは?

 皮肉ではなく、ほとんど宗教家のような発言です。このくだりのあとで、自身を<通訳者>と称していることからも、決して大げさなのでもないのでしょう。  ここまで大きなスケールから、社会に善をもたらすツールとして音楽を捉える人を、筆者は他に知りません。それはあまりにも尊い。  しかし、その熱烈な尊さゆえに、自身を追い込んでしまった可能性はないでしょうか。高貴な心がけが多くの共感を呼んだせいで逃げ道を塞いでしまっていたとしたら?  山口一郎の燃え尽きは、ハードワークのせいだけで片付けるわけにはいかないのです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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