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中森明菜が再始動へ。曲の解釈で論議も起きた、明菜だけの“ダークな世界観”

「駅」の解釈に山下達郎が激怒したことも

中森明菜

「駅」が収録されたアルバム『CRIMSON』

 そこで触れなければならないのが「駅」(作詞・作曲:竹内まりや)論争です。中森明菜が竹内まりやに楽曲提供を依頼した「駅」ですが、明菜のアルバム『CRIMSON』(1986年)に収録されたバージョンを聴いた山下達郎が激怒。自らアレンジをし直して竹内まりやの1987年のアルバム『REQUEST』にセルフカバーを収録したというエピソード。  その後、1994年の竹内のベストアルバム『Impressions』のライナーノーツでも「この曲に対して示した解釈の酷さに、かなり憤慨した」と山下が振り返っており、双方のファンの間で語り草となっています。(『夕刊フジ』【歌姫伝説 中森明菜の軌跡と奇跡】2022年2月22日より)  実際に2つのアレンジは対照的です。明菜の「駅」はスローテンポでガットギターのアルペジオをフィーチャーしています。さながらシャンソンかファド(ポルトガルの歌謡曲)の趣きです。  当時担当ディレクターだった藤倉克己氏によると、これは明菜自身のアイデアによるところが大きかったそう。完成度の高い竹内まりやのデモバージョンをあえて壊そうとするアーティスティックな意識によるものだったと証言しています。  一方、竹内まりやのセルフカバーバージョンの「駅」はリズムセクションを従えたミドルテンポで、悲痛さとは対極の色合いを引き出している。心臓の鼓動や列車の動き出す音を彷彿とさせるバスドラムは、前に進む決意をあらわしているようにも聞こえます。  なので同じコード進行でも、サビでは視界がパッと開けるような効果を生んでいる。明菜バージョンとは違った意味でアレンジメントが与える影響の大きさを教えられます。

真逆の性質の持ち主だからこそ起きた解釈の違い

 さて、以上を踏まえて中森明菜は解釈を間違えたと言えるのでしょうか? ドビュッシーも言ったように、音楽の良し悪しや好き嫌いは印象であり主観によって判断されるべきです。だから山下達郎の怒りはもっともだし、明菜を擁護する意見にも正当性がある。  しかし、ここまで激しい怒りを買った理由を考えてみると、やはりそこには明菜の絶対的な“短調性”が作用していたのではないかと考えてしまうのですね。真逆の性質の持ち主同士だからこそ起きてしまった水と油の闘争なのではないか。  山下達郎を特集した雑誌『BRUTUS』(2022年7月1日号)に、ニューアルバム『SOFTLY』を若手ミュージシャンが一曲ずつレビューする企画がありました。その中で「SHINING FROM THE INSIDE」について語る鳥居真道(4人組バンド・トリプルファイヤーのギタリスト)の言葉が印象に残っています。   <山下さんの和声感覚には、チャップリンの「スマイル」のごとく「生きていると色々あるけれど、何はともあれ笑おうよ」的なオプティミズムが響いていると感じるのです。和声の響きは、我々の表情のように感情を伝えます。心は切なくても表情は明るく。そうした微妙なニュアンスを山下さんの和声の感覚から感じます。私はそこにオプティミズムを見るわけです。>
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この時代の空気が、中森明菜を召喚したのかもしれない
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