さて、以上を踏まえて中森明菜は解釈を間違えたと言えるのでしょうか? ドビュッシーも言ったように、音楽の良し悪しや好き嫌いは印象であり主観によって判断されるべきです。だから山下達郎の怒りはもっともだし、明菜を擁護する意見にも正当性がある。
しかし、ここまで激しい怒りを買った理由を考えてみると、やはりそこには明菜の絶対的な“短調性”が作用していたのではないかと考えてしまうのですね。真逆の性質の持ち主同士だからこそ起きてしまった水と油の闘争なのではないか。
山下達郎を特集した雑誌『BRUTUS』(2022年7月1日号)に、ニューアルバム『SOFTLY』を若手ミュージシャンが一曲ずつレビューする企画がありました。その中で「SHINING FROM THE INSIDE」について語る鳥居真道(4人組バンド・トリプルファイヤーのギタリスト)の言葉が印象に残っています。
<山下さんの和声感覚には、チャップリンの「スマイル」のごとく「生きていると色々あるけれど、何はともあれ笑おうよ」的なオプティミズムが響いていると感じるのです。和声の響きは、我々の表情のように感情を伝えます。心は切なくても表情は明るく。そうした微妙なニュアンスを山下さんの和声の感覚から感じます。私はそこにオプティミズムを見るわけです。>