中森明菜が再始動へ。曲の解釈で論議も起きた、明菜だけの“ダークな世界観”
中森明菜が帰ってくるかもしれません。スポーツニッポン(9月12日)が、「第73回紅白歌合戦」への出場をNHKが打診していると報じました。
今年がデビュー40周年の記念イヤー。1989年のコンサート特番が話題となり、その後はツイッターアカウントも開設するなど、活動再開に向けた一挙一動が注目を集めています。長らく表舞台から遠ざかっていても、復帰への期待は高まるばかり。何がそんなに人をひきつけるのでしょうか? 1980年代のアイドルブームで異彩を放った理由を改めて考えてみたいと思います。
中森明菜の全盛期は、筆者が幼稚園から小学校低学年ぐらいにかけてでした。物心ついたときにテレビやラジオから流れていたのが松田聖子や小泉今日子、近藤真彦、田原俊彦、そして中森明菜ということになります。
そこで幼心に感じたのは、中森明菜の歌と曲だけ妙に怖かった。他の歌手は明るくて楽しいのに、明菜には重たく沈んだムードがあったのですね。彼女の歌を聞くと叱られている気分になり、なぜか申し訳なくなったものです。
のちに理由のひとつが判明します。それは中森明菜のヒット曲のほとんどが短調で書かれていることです。松田聖子の「赤いスイートピー」や小泉今日子の「なんてたってアイドル」のような楽曲が中森明菜には一切ない。ダークトーンで統一した楽曲によってイメージを徹底的に管理していたのですね。年端も行かない子供には苦味が強すぎた。
圧巻はNHKで放送された1989年のライブです。デビューからのヒットシングル24曲で構成されたステージは、全ての曲がマイナーキー。
特に「TANGO NOIR」、「ミ・アモーレ」、「難破船」、「飾りじゃないのよ涙は」の流れは壮絶でした。シリアスな歌詞にわずかな甘さも許さない楽曲が様々なアレンジメントで押し寄せてくる。短調でできることの全てを中森明菜で実験しているような冷徹さすら覚える容赦ないライブでした。
時間にして90分超。常識では考えられない恐るべき試みです。
しかし、中森明菜がすごいのは短調のダークさだけを抽出しつつ決して感傷的にはならないこと。泣きを誘わない歌。筆者が幼いころに感じた“叱られている”ような力強さなのだと思うのです。
それは「DESIRE-情熱-」や「ミ・アモーレ」で顕著です。Aメロは靄がかかったような中低音で抑制しつつ、サビで一気に強いアタック感のある歌で解放する。この配分に明け透けな力が宿る。覆い隠したものを引き剥がすときに生まれるエネルギーが、楽曲をよりドラマチックに響かせるのですね。
この振れ幅がカリスマ性を生んでいるのではないでしょうか。
ヒット曲のほとんどが「短調」
ダークな楽曲でも「決して感傷的にはならない」
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