更新日:2022年10月05日 17:41
エンタメ

ラッパー・呂布カルマ“漫画少年”時代を熱弁「ジャンプよりチャンピオンに夢中」

漫画少年からラッパーへ

インタビュー中に流暢な筆で描いてくれた落書き

――出版社に漫画を投稿したことはあったんですか? 呂布 高校を卒業してから美術大学に入学したんですけど、その時に1本だけ『BOUZU』っていうタイトルの漫画を描いて出版社に送ったんです。「坊主にしたくない野球部の不良と、同じく坊主にしたくないヤクザのチンピラが最終的に自衛隊に入隊して坊主になる」っていう話で。それが一生懸命描いたのに出版社から何の連絡もなく、厳しい世界だなと思いましたね。 ――持ち込みだったら反応があったかもしれませんね。大学生の時はどんな生活をされてたんですか? 呂布 予想以上に忙しかったです。課題がめちゃくちゃ出るので漫画を描く暇もなかなかとれなかった。実は妻との出会いも大学なんです。彼女は高校時代からデビューしていたプロで。僕が大学で出された課題に対して全部漫画で表現して提出していたら、それを見た妻が「同業者なの?」って聞いてきたんです。「同業者ってどういう意味?」って最初は戸惑ったんですけど漫画家だっていうことがわかってそれが知り合うきっかけでしたね。 ――今の奥さんと出会われたのも漫画が縁なんですね。 呂布 あと大学時代に衝撃だったのが下の学年に『僕のヒーローアカデミア』の作者の堀越耕平君がいたんですよ。彼の絵を見たときに「あぁ~……、これはすごいな」って感じで。 ――その頃から才気あふれていた? 呂布 別格でしたね。で、彼は気がついたらあれよあれよという間にデビューしていった。近くにそんなすごい奴がいて気持ち的には萎えることもあったんですけど、彼の絵はポップな絵だったので、僕のゴリゴリの劇画とは画風が違うと思ってなんとか溜飲を下げてました(笑)。 ――子供の頃から追い続けてきた漫画家ではなく、ラッパーになったのにはどういうきっかけが? 呂布 大学を卒業してから漫画家になる為にフリーターをやっていたんです。バイトしながら漫画を描いてたんですけど、学生時代から並行して好きだったラップを漫画の息抜きに始めてみたんですよ。クラブで初めてライブをしたら、それがめっちゃ楽しくて。もう一気に漫画がどうでもよくなっちゃった。そこからは親の前では漫画を描いてるふりをしながら作詞にのめり込みましたね。 ――それだけの衝撃がそのライブにあったわけですね。 呂布 はい。その時に「今やるならラップだな」と思ったんです。漫画はラップで有名になった後に描く機会があるんじゃないか?って。カールスモーキー石井みたいなスタンスで漫画を描こうと思ったんですよ(笑)。実際にその通り、ラッパーになってから漫画のオファーが来たんで考えは間違ってなかったですね。先述した漫画も連載できたし、今はなんの未練も残ってないです。 ――とはいえ、あれだけの画力だとオファーもたくさん来るのでは? 呂布 そうですね。でも、生半可な気持ちではできないな、と。真剣に目指していたからこそ、ラップと漫画の両立は本当に難しいとわかっているつもりです。自分の仕事をコントロールできるようになったら筆をとれたらいいなとは思ってます。それまではやっぱりラップにできる限りのエネルギーを注いでいきたいですね。  漫画をこよなく愛した少年は大人になり、今やまさに漫画から飛び出したかの如き活躍をみせている。呂布カルマというキャラクターはこの先どんな物語を我々に見せてくれるのだろうか。 【呂布カルマ】 愛知県名古屋市を拠点に活動するラッパー。ヒップホップレーベル「JET CITY PEOPLE」代表。幼少期を大阪府で過ごした後、中学生時代から愛知県名古屋市で暮らす。MCバトル番組「フリースタイルダンジョン」にて2・3代目モンスターとして出演。音楽活動のほか、グラビアディガーとしても活躍。 <取材・文/南ハトバ 撮影/水野谷維城>
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