ラッパー・呂布カルマ“漫画少年”時代を熱弁「ジャンプよりチャンピオンに夢中」
ビートに合わせ彼が歌い出せば、言葉の暴力が容赦なく相手を打ちのめす――。呂布カルマは日本トップクラスのラッパーのひとりだ。
最近ではラップだけでなく、自身のYouTubeチャンネルでのライブ配信や、地上波のテレビ番組出演など幅広く闘いの場を広げ続けている。その強烈なキャラクター性からAC(公共広告機構)のCMにも起用され、認知度をさらに高めた。
ラップという表現活動から世間に知られるようになった彼だが、実はもともと漫画家を目指し、幼少期から絵を描き続けていた過去を持つ。今回はそんな呂布カルマ氏に自身のアイデンティティのひとつである「漫画」について語ってもらった。
――漫画を描き始めたのはいつごろなんですか?
呂布:小学2~3年生の時にクラスで漫画を描く友達がいて、それを真似して描き始めたのがきっかけですね。最初は軽いノリでしたけど、「俺は漫画家になる」って周りに宣言して、大学を卒業するまではずっと漫画を描いていました。ラッパーになってからも縁があって、webで「俺と世界」という漫画の連載をやらせてもらいました。
――呂布カルマの半生は漫画と共にあったわけですね。
呂布 学生時代は漫画を描くこと自体が生活の一部でしたね。俺は昔から筋肉を描くのがすごく好きで、「人体をうまく描ける」っていうのが学生時代の自分のステータスの一部だった。だから当時の好きな漫画はマッチョなキャラクターが出てくる『覚悟のススメ』と『グラップラー刃牙』で、小学6年生の時からは『ジャンプ』より『チャンピオン』を夢中で読んでました。
――『チャンピオン』を読みふける小学6年生ってなかなか見たことないですが……。
呂布 ほんとに誰も読んでないんですよ(笑)。だからみんながジャンプ読んでるなかに「おもろいのあるでー」と言ってチャンピオンを持って行く。そしたらそれをみたやつらが「筋肉すげぇー!」って面白がる。教室界隈では面白い漫画を流行らせるインフルエンサーみたいな感じでしたね。
――学生時代はどのように過ごされてたんですか?
呂布 小学校から授業中はずっと漫画を描いてました。描いたらそれを友達に見せる。結構グロテスクな絵を描いてたんです。小学生のときに学校でそれを問題にされて、おかんを呼ばれたんですよ。「残酷表現を息子さんが描いてます!」って。でもおかんは「うちのコが描いている作品には意味のない残酷表現があるわけじゃない」って言ってくれて。それ以降は言われなくなりました。
――お母さんが呂布さんの漫画に対しての理解が深かったんでしょうか。
呂布 というか、先生がかなりヒステリックで……。当時は若者の犯罪が問題になり始めた時で、酒鬼薔薇聖斗とかが同世代なんですよね。そんな雰囲気だから、先生が暴力描写に過敏に反応しちゃって。「あたしは自分の生徒から犯罪者を出したくないのよー」とか言って泣きながらほっぺたをひっぱたいてきましたね。なんでそうなんねんと僕は思いましたけど。
そんな風潮のなかで、親は理解があったほうかもしれません。親父が芸大出身で、芸術や表現に理解があったのも大きかったかな。
――そこから中学高校と進学しても漫画ばかり描いていた?
呂布 はい。そんなんだから成績がめちゃくちゃ悪くて。高校生になると0点ばっかり。あるテストの時に、わからなすぎて暇だから用紙の裏面に劇画タッチのガチガチに勃起したチンコを描いて提出したんですよ。そしたら表面はもちろん0点で、裏面のチンコにでっかいバツがついてて、その横に「減点です!」って書いてあった。0点なのにどっから点数ひかれたんだろうと思いましたね……。
――自由な高校生活を送られてたんですね(笑)。高校時代、部活動は何をしていたんですか?
呂布 美術部に入ってました。ほとんど行ってないですけど。絵はぶっちぎりで上手かったんで、一応部長でした。最初に入部した時は男子が十何人いたんですけど、僕ともう1人を残して、みんな漫画研究部ってのを立ち上げてそこに移ったんですよ。どんな活動やってんのかなと思ってそいつらの部室を覗いたら、美少女アニメのポスターを部屋中に貼ってひたすらそれを模写してたんです。もうそれがマジで受け付けなくて。そこからそっち系のオタクを嫌悪するようになっちゃいましたね。こいつらには絶対負けないって。
漫画と共にあった半生
落書きで0点からさらに減点されたテスト用紙
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