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長渕剛の“愛国心”はどこから生まれたのか?“貧しさ”を歌っていた時代からの変化

1989年の曲では“貧しさ”を描写していた長渕

長渕剛

長渕剛『いつかの少年』

 実際の楽曲から見ていきましょう。  札幌公演のMCからもわかるように、長渕氏のキャリアを貫くテーマのひとつが日本人とカネです。  肉体改造前の「いつかの少年」(1989年)では、半径5メートルほどの小さな世界から自身の体感をもとに、貧しさを描写しています。 <親父とお袋は泥にまみれ銭をうらやみ そのド真中で俺は打ち震えていた> <雨どいを伝う雫を見るのがたまらなく嫌だった>  バブルの絶頂だった時代にここまで生々しく飢えを訴えた曲は稀です。その根底にあるのは膨れ上がる日本への恨みと、それでもそこから逃れることのできない執着のようなもの。そんな負の感情に目を背けたくなる弱さをサザンゴスペル的な大きなメロディで表現する。そこに反語的なハーモニーが生まれていたわけですね。

肉体の強化とともに愛国心も増大?

 ところが、その後肉体を強化するのに比例してかつての負い目は消え去り、代わりに長渕氏は国家と同化して感情移入する表現を展開します。  特攻隊をテーマにした映画『男たちの大和/YAMATO』の主題歌「CLOSE YOUR EYES」(2005年)では英霊たちの<気高い勇気>を称揚。その後にはズバリ、「神風特攻隊」(2007年)なる曲も発表します。 <神風特攻隊のように 傷つくことを恐れないで…  神風特攻隊のように 真っすぐな愛で 立ち向かって生け!>  これを長渕氏は骨太なブルース・ロックサウンドで説法のように発破をかけるのです。断じてジョークではないのです。  ライブでおなじみの客席を埋め尽くす日の丸は、この一連の楽曲群から生まれたと言って差し支えないでしょう。
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国を憂う思いは「いつかの少年」の反動か
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音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4

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