恋愛・結婚

「感情的に話すな」と相手を責める人が持つ“モラハラ気質”の正体

相手の意見が変わることは「感情的」なことなのか

 では、順番に見ていきたいと思います。  まず「いやいや、その話は前もしたよね」という発言。これは相手が意見を変えることを責めています。相手を責める前に「あれ、前に京都になったと思ったんだけど、何か気が変わった?」というふうに、相手に対して質問をすることもできたはずですが、そうしなかったことは加害的(ケアではない、という意味。以下同じ)だと言って良いでしょう。  これは更に前提として「人は変わる」ということについて理解できていないということでもあります。人は、さまざまな経験や時間経過によって考えたり言ったりすることが変わります。その日の体調によっても、気分によっても変わります。その「事実」を無視して、人に一貫性を求めることも、不可能な要求という意味で加害的だと言えるでしょう。  続く「そういう話は前もってしてくれない?」という発話も、端的に言って相手を攻撃する機能以外全く果たせないでしょう。なぜなら、相手は話し合いの時にはそれを忘れていたからです。「相手を攻撃したい」という意図がないなら、これまた不可能な要求であり、加害的です。

自分は冷静で論理的であるという勘違い

 ここでできることは「じゃあそれも踏まえるとやっぱり北海道の方がいいかなあ」というくらいでしょうか。もし自分が(条件を決めて意見出しをして決定された、という意味ではなく、自分自身が)京都に行きたかったのだとしたら「京都にいくつもりで楽しみにしてたから、話が変わってちょっと戸惑っているかも」と伝えることもできるでしょう。  更に「無意味になったかどうかでいうと無意味になったってことでしょ」という発話もポイントです。実際には無意味ではないでしょう。なぜならば、そこではどんな条件が重要か、その条件ごとにそれぞれどんな好みがあるのかについて共有した時間が確かにあったからです。何も無くなってなどなく、それを前提とした上で「北海道だと友達とも会える」という情報が増えたのですから、それを元にまた考えたら良いのです。  ここで無意味だと言ってしまう背景にあるのは「自分は京都に行きたかったのに、北海道は嫌だな」かもしれないし「一度決まったことが後からひっくり返るのが落ち着かなくて嫌だな」という「感情」であると推察することはそんなに無茶のあることではないと思います。  つまり、「自分は冷静で論理的に話している」と思っていても、実際にはそんなことはないのです。もっというと、あらゆる人は究極的には「感情」によって意思決定しているのです。  行きたいところがたくさんあるから行くというのも「行きたい」という感情があってのことですし、条件を整理して決めたいというのも「それが落ち着く、安心する」という感情があってのことだからです。
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誰もが不完全な存在であることを理解すべきである
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