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医師を目指す元プロ野球選手の本音と信念「プロよりも一般の世界で頑張る人のほうが凄い」

「仕事の“プロ”たちにどう立ち向かえばいいのか」

 三重大中退から筑波大学に入学し直し、ここで投手として基礎を固める。卒業後、独立リーグでサイドスローに転向したことで花開く。’17年にDeNAへドラフト6位で指名。年齢はすでに25歳だった。念願のプロ野球選手になったものの、2年で戦力外通告となる。そこから医学部受験のため1年半勉強し、東海大医学部に編入した。 「『プロ野球の過酷な競争社会を経験していれば、世の中に出ても大丈夫だ』っていう方がいますけど、僕らはプロのアスリートとしてお金をもらっていて、アスリート以外の方はその仕事のプロとしてお金をもらっている。じゃあ、僕らはプロのアスリートでなくなった場合、その仕事のプロの方たちにどうやって立ち向かえばいいのか……正直かなり難しい。精神的には強くなっているかもしれませんが、はっきり言ってプロ野球選手を辞めた僕なんか、まだ何の役にも立ってないです。絶対に野球以外の仕事のほうがしんどい。野球は好きなことをやってお金をもらってますけど、他の仕事をしている方たちすべてが従事している仕事を絶対に好きかと言われればそうじゃなく、その中でプレッシャーがかかり結果を求められるのはかなりきつい。なんでアスリートだけが神格化されるか僕にはわからない。一般社会で頑張っている皆さんのほうが強いですよ」  こんな言い方をした元プロ野球選手は初めてだった。  東大に入るよりも難しいと言われるプロ野球選手になった自分を、口に出さないまでもどこかで褒め称え、それがプライドとして形成されていくのが当たり前だと思っていた。一般人には想像もつかないほどの怒涛のプレッシャーの中で超人たちと競い合いながら結果を残していくのだから、その過程には限りなく高い価値がある。しかし寺田は『アスリートよりも一般の世界で頑張っている人たちのほうが凄い』と心から讃える。

「町医者とスポーツ医学の両方をやりたい」

 以前、医学部受験を控えた半年前に初めて取材をさせてもらい、『日刊SPA!』に掲載したときのことだ。寺田のコメントがネット民を刺激するような内容だったためアップ後に軽く炎上してしまった。受験を控えているのに余計な騒動に巻き込んでしまい、申し訳なく思いすぐさま電話して謝罪した。しかし、寺田は「僕が言ったことだし、謝らないでください。むしろ記事にしていただいてありがとうございます」と明るい声が返ってきた。この言葉でどれだけ救われたことか。受験勉強中でイラついても仕方がない出来事なのに、こっちに気を遣うだけじゃなく礼までする発言には頭が下がる思いだった。 「希望を言えば、町医者とスポーツ医学の両方をやりたいんです。大好きな地元の町の過疎化が進んでいてちょっと大変みたいなので、おこがましいかもしれませんが、町を盛り上げられればと思ってます。自分の経験を生かしたスポーツ医学もやっていきたいので、月に1〜2度東京へ出張できないかなと勝手に思い描いています。アスリートの怪我を外科的でな部分ではなく、内科的アプローチができるのではないかと。幸いにも僕だったら選手側の気持ちを一番汲み取れるんじゃないかと考えています。自分の経験談から言うと、怪我が完治してなくても強い焦りのためプレーしてしまうことがあるんです。これまでにも同じ箇所を何度も怪我する選手をいっぱい見てきて、やっぱり完治していないのではとずっと疑問に感じていました。対処療法だけでなく、内科的にも何かできるのでは……。どこまで実現可能かわかりませんが、やります」  寺田は、力強く断言した。  ベンチを温めるだけの選手が一念発起してトレーニングに励み、独立リーグで花を開き、25歳でプロになった。2年でクビになり、医者を目指し、医学部に進学した。努力すれば夢が叶うとは言い切れないが、夢に到達した人は必ず努力している。  元プロ野球選手初の医師を目指し、寺田光輝は名前のように、光り輝こうとしている最中だ。
1968年生まれ。岐阜県出身。琉球大学卒。出版社勤務を経て2009年8月より沖縄在住。最新刊は『92歳、広岡達朗の正体』。著書に『確執と信念 スジを通した男たち』(扶桑社)、『第二の人生で勝ち組になる 前職:プロ野球選手』(KADOKAWA)、『まかちょーけ 興南 甲子園優勝春夏連覇のその後』、『偏差値70の甲子園 ―僕たちは文武両道で東大を目指す―』、映画化にもなった『沖縄を変えた男 栽弘義 ―高校野球に捧げた生涯』、『偏差値70からの甲子園 ―僕たちは野球も学業も頂点を目指す―』、(ともに集英社文庫)、『善と悪 江夏豊ラストメッセージ』、『最後の黄金世代 遠藤保仁』、『史上最速の甲子園 創志学園野球部の奇跡』『沖縄のおさんぽ』(ともにKADOKAWA)、『マウンドに散った天才投手』(講談社+α文庫)、『永遠の一球 ―甲子園優勝投手のその後―』(河出書房新社)などがある。

92歳、広岡達朗の正体92歳、広岡達朗の正体

嫌われた“球界の最長老”が遺したかったものとは――。


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昭和のプロ野球界を彩った男たちの“信念”と“生き様”を追った渾身の1冊

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