更新日:2023年02月18日 10:15
仕事

専業主婦が子連れで海外移住。苦難の連続、現地でパラレルキャリアを実現するまで

語学学校に通える時間は限られていた

読書

ちょっとした隙間時間にも読書などインプットを忘れない

 子供たちがそれぞれ学校と幼稚園生活に慣れるのを待ち、週に3日ドイツ語の語学学校に通い始めたが、ウィーンの小学校はそのほとんどが午前中のみの授業で、登校班などのシステムもないため親が送り迎えをする。  学童保育のようなシステムはあるが、毎月の給食費だけでも1人60ユーロ。それを2人分払うのは無理だった。  子供2人が小学校と幼稚園に行っている間が、みずもさんが語学学校に通うことができる唯一の選択肢だった。  子供たちを8時までに送り、8時半からの語学学校にギリギリ到着、そして11時半に終了してすぐに子供を迎えに行っても、子供が1人ポツンと階段に座って待っていることも多かった。  そして週に2回は、夕方から長女の音大予科での個人レッスンがあったので、長男も連れて一緒に通っていた。

「夜中に毎日5時間は勉強」ドイツ語学習に火をつけた“長女の言葉”

 限られた時間のなかでドイツ語の勉強は大変だったというが、“長女の言葉”で火がついた。 「あるとき、長女に『ドイツ語できるようになっててすごいなぁ』って言ったら、『お母さん、私たちは毎日5時間以上ドイツ語なんだよ、当然じゃない!』と返ってきたんです。それからは、子供たちを夜8時くらいに寝かせてから夜中に毎日、最低5時間は勉強しました。完全に長女のあの言葉のおかげ! その積み重ねがあって今があると思っています」  今でも外国人が滞在許可を取るのは容易ではなく、ケースバイケースなので、実際やってみないと分からない。みずもさんの多くの努力が実って、5か月以上かかってやっと滞在許可が下りた。  とはいえ、当初の滞在許可は労働許可の付いていない1年更新のものだった。滞在期間が長くなるなどある程度の条件が揃うと、違う種類・長期間の滞在許可を申請できる。その資格を得てからすぐに労働可能な滞在資格を申請し、やっと労働可能な滞在許可を手に入れたのは、ウィーンを訪れてから7年後。2014年になってからだった。
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2004年よりウィーン在住。うち3年ほどカナダ・オタワにも住む。長年の海外生活と旅行会社勤務などの経験を活かし、2007年よりフォトライターとしても多数の媒体に執筆、写真提供している。著書に『カフェのドイツ語』(三修社)、『芸術とカフェの街 オーストリア・ウィーンへ』(イカロス出版)など。世界100ヵ国以上の現地在住日本人ライターの組織「海外書き人クラブ」会員。
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