仕事

突然の地方移住。元DJの47歳主婦が語る「私が“山の上のパン屋”をはじめたワケ」

DJとしての成功から「みんなの幸せ」に

山の上のパン屋

山の上のパン屋「わざわざ」のスタッフ(著者写真提供)

「わざわざ」を始めたのは、2009年2月、32才のときのことでした。DJを目指していた頃には考えてもいなかったことです。  地の利を捨てて、地方のアクセスの悪い場所を選んだことで、都市と地方のヒエラルキーから解放されました。すると、「DJで成功したい」という自分の欲求の塊だった考え方から、ゆるやかな「みんなの幸せ」を中心にした考え方に変わっていきました。  そして、自分が対等だと思えない、偏っていて不条理だと感じることを「わざわざ」という店を通して変えていきました。働き方も、お金のもらい方も使い方も、人間関係も、私自身が納得できる「等価交換」の形に近づけていく。そんな日々が始まりました。 <TEXT/平田はる香(株式会社わざわざ代表)>
1976年生まれ。2009年長野県東御市の山の上に趣味であった日用品の収集とパンの製造を掛け合わせた店「わざわざ」を一人で開業する。段々とスタッフが増え2017年に株式会社わざわざ設立した。2019年東御市内に2店舗目となる喫茶/ギャラリー/本屋「問tou」を出店。2020年度で従業員20数名で年商3億3千万円を達成。2023年度に3,4店舗目となるコンビニ型店舗「わざマート」、体験型施設「よき生活研究所」を同市内に出店予定
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山の上のパン屋に人が集まるわけ

健やかに、年商3億円

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