ベイスターズの投手陣を陰で支える「かつての中継ぎエース」。豪胆な“ヒゲ魔神”が今の選手に求めるものとは
1998年の優勝時、“ヒゲ魔神”の豪胆なイメージで鳴らした中継ぎ投手は現在裏方として、若き投手陣に向き合いチームを支えている……(情報は週刊SPA!9月12日号発売時)
ついにペナントレースは残り30試合を切った。タイガース、カープの2強を追いかけるベイスターズは正念場の8月を13勝12敗1分けと辛うじて勝ち越した。彼らはクライマックスシリーズ進出圏内の3位で9月を迎えた。
横浜ベイスターズが誕生した1993年に入団した“ヒゲ魔神”こと五十嵐英樹(54歳)が「ピッチングアナリスト」という新しい職に就いたのは、“プロ30年目”を迎えた昨シーズンだった。監督やコーチと違い、ユニフォームを着ない裏方の仕事である。
「ピッチングアナリストは、スコアラーに似た仕事です。スコアラーには、チームに帯同しながらその日の試合を細かく分析する『チーム付きスコアラー』、次の対戦相手をより詳しく分析してチームに貢献する『先乗りスコアラー』、2カード先の対戦相手を分析する『先々乗り』などがいますが、ピッチングアナリストは、チーム付きスコアラーの業務を細分化して、投手だけに特化します」
長丁場のペナントレースを戦う各チームは、投手コーチ、打撃コーチ、守備コーチのような専門分野に秀でた技術コーチに加え、客観的なデータを用いながらサポートするスコアラーにも十分な人員を割く。
スコアラーは選手のプレー(結果)を統合して、長所や弱点をあぶり出し、特徴や傾向を導き出すことでチームへ貢献する。“ピッチングデザイナー”とも呼ばれる五十嵐の仕事は、IT化が著しい近年のプロ野球の進化を如実に表している。
1998年の横浜ベイスターズのリーグ優勝、日本一に貢献した五十嵐は、斎藤隆、野村弘樹、川村丈夫、三浦大輔(現・監督)らコマ揃いだった先発投手陣と、抑えの大魔神・佐々木主浩とを繋ぐ、中継ぎのエースとして“ヒゲ魔神”の愛称とともに存在感溢れる投手だった。
「この仕事(ピッチングアナリスト)に就く前は、10年ほどファーム(2軍)で似たような業務に携わっていました。かつては前半戦が終わったオールスター休みやシーズン終了後に振り返って、次の目標を話し合っていました。ピッチングアナリストとなった今は、投手だけに特化するようになり、例えば先発投手なら、早ければ投げた当日、遅くとも先発した2、3日後には話をするようにして、次の登板に生かしてもらえるように心がけています」
投手陣を陰で支えるかつての中継ぎエース
投手の特徴や傾向を導き出すことでチームへ貢献
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
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