全額返金チケット、100万円で監督と会食…下落したベイスターズの観客動員数を回復させたDeNAの驚きの手法
1998年の優勝後、ベイスターズの観客動員数はチームの低迷とともに下落。それを回復させたのは’11年に親会社となったIT企業の大胆な改革だった。
’11年12月、日本プロフェッショナル野球機構(NPB)への新規参入が決定し、横浜ベイスターズの親会社となった株式会社ディー・エヌ・エー。ソフトバンク、楽天に次いで3球団目となるIT企業によるオーナーシップは、当時、4年連続最下位に沈んでいたベイスターズをいかに改革、今につなげたのか――。
プロ野球のオーナーシップは、時代の映し鏡と言われる。プロ野球が誕生した1930年代、読売や中日といった新聞社とともにその大役を担ったのは国鉄・近鉄・南海・阪急などの鉄道産業だった。高度経済成長の1970年代に入ると、ロッテ、ヤクルト、日本ハムの食品産業がこぞって参入を果たした。
近年はオリックス(金融)や前出の通信・IT企業が顔を並べるプロ野球のオーナー企業のなか、参入からわずか12年という短期間で、DeNAが確立したベイスターズ球団の改革手法が興味深い。
本拠地横浜スタジアムでの公式戦。5回裏、ベイスターズの攻撃になるとライトスタンド一面が巨大なフラッグで覆われる。青地に白で描かれた「I☆YOKOHAMA」は、他球場の試合ではお目にかかれないユニークな応援シーンだ。
これはベイスターズが球団の理念として掲げる“野球をきっかけに、「横浜」に関わるすべての人々が一つにつながる”ことを体現している。
’12年のDeNAベイスターズ誕生と同時に、外資コンサルファームから転身してきた球団社長の木村洋太(41歳)が、今年ある講演会で語ったフレーズが印象深い。
「我々のリサーチによると、大阪と言えば阪神。広島と言えばカープ。街とライバル球団のイメージが重なるなか、横浜は『港町』。それは国際的であり、お洒落で洗練された街というイメージですが、残念なことにここにベイスターズは入っていませんでした」
横浜にあるプロ野球球団は、洗練されているか、国際的か。DeNAベイスターズの改革は、こんなマーケティングの視点から始まったという。
DeNAは4年連続最下位だったベイスターズをどう改革したのか
「横浜といえば港町。ベイスターズは入っていませんでした」
1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか
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