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またも優勝を逃したベイスターズ。それでも黄金期の到来を信じる理由

 昨年2位からの雪辱を誓った今季は再び悔しさを味わうシーズンとなった。しかし、来るCS、日本一戴冠そして来季の優勝に向けチームは歩みを止めない。(情報は週刊SPA!10月3日号発売時)

優勝を逃した雪辱はCSで

1998年の遺伝子

1998年、優勝当時の集合写真

 ペナントレース後半戦を圧倒的な強さで勝ち抜いた阪神タイガースが’23年セ・リーグ優勝を決めた。「横浜頂戦」をスローガンに掲げたDeNAベイスターズの夢は来季に持ち越しとなった。残り試合は僅か。チームは次なる目標、CS(クライマックスシリーズ)進出に全てをぶつける――。  牧秀悟とネフタリ・ソトが揃って2本のアーチを放ち、東克樹が最多勝を確定づける14勝目を挙げた9月14日の中日ドラゴンズ戦。ベイスターズのヒーローインタビューが行われていたちょうどその時、タイガースの18年ぶりのリーグ優勝が決まった。  WBCイヤーと重なった今年。春季キャンプ訪問で見たベイスターズの選手たちは、昨年2位の悔しさを今年こそは晴らしてくれそうな躍動感に満ちていた。25年ぶりのリーグ優勝、日本一に期待を膨らませ、ベイスターズを追い続けた今シーズンは、その瞬間にひとつの区切りを迎えた。

“連覇していれば球団史は変わっていた”谷繁とローズの後悔

 タイガースの優勝マジックが1ケタとなった頃、1998年のベイスターズ優勝の立役者、正捕手の谷繁元信と主砲のボビー・ローズがこんな話を聞かせてくれた。 「オレは横浜と中日で、リーグ優勝5回(横浜1、中日4)と日本一を2回(横浜、中日各1)経験できたけど、どの優勝が嬉しかったかと聞かれたら、ぶっちぎりで1998年のベイスターズの優勝なんだ。それも(西武ライオンズを4勝2敗で下した)日本シリーズじゃなくて、10月8日の甲子園(リーグ優勝)の試合。現役時代は負けて泣いた試合はいくつもあったけど、勝って泣いたのは後にも先にもあの試合だけなんだよ」
1998年の遺伝子

佐々木と谷繁のバッテリー

 通算3021試合出場の日本プロ野球記録を樹立した百戦錬磨のレジェンドをもってしても、ベイスターズの優勝は、かくも格別なものかと驚かされた。その谷繁が続ける。 「今も時々、思い返すんだよ。1998年に優勝したあと、1999年、’00年と連覇できると思っていた。でも優勝した翌年、開幕からどこか気持ちに緩みがあった。あれだけのメンバーが揃っていながら、一度しか優勝できなかったのは、正直、悔しい……」  谷繁の言葉を受けて、ボビー・ローズも言葉を重ねた。 「1999年はシーズン中に自分が『今シーズン限りで引退する』と発言してしまったことが、チームの規律を乱し、結束力を弱めてしまった。あれから25年も優勝から遠ざかってしまった理由のひとつは、あの時の自分の発言にあるかもしれない。当時のベイスターズは連覇して然るべき選手が揃っていた。2連覇、3連覇していれば、ベイスターズの球団史は大きく変わっていただろうにね……」
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痛すぎたタイガースとの開幕戦3連敗
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1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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