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ベイスターズの投手陣を陰で支える「かつての中継ぎエース」。豪胆な“ヒゲ魔神”が今の選手に求めるものとは

現役時代の五十嵐は、揺るぎない“個”を持つアスリートだった

1998年の遺伝子

現役時代は“ヒゲ魔神”として中継ぎ、抑えと活躍をした五十嵐英樹氏

 個性派揃いの1998年の優勝メンバーの中でも、ひときわ寡黙だった五十嵐が、20も30も年の離れた選手たちとコミュニケーションを重ねるピッチングアナリストの要職に就いているのは意外な気もするが、よく考えてみると納得できた。  現役時代の五十嵐は、揺るぎない“個”を持つアスリートだった。口数は多くなく、物静かな印象が強かった。しかし、近寄りがたい雰囲気を感じたことはなく、いつも変わらず飄々、淡々という言葉がしっくりくる選手だった。深酒した翌日などは、汗を出すためのカッパを着て黙々と走る姿をよく見かけた。  ひとたびマウンドに上がれば、捕手からの返球を受ける際は、マウンドから2歩、3歩、打者に歩み寄りながら気迫溢れる表情でその場を圧倒する。投手コーチやトレーニングコーチが示す練習内容も自分が納得しなければやらないという頑固な一面もあった。  けれど五十嵐のその姿勢は、チームの規律を乱すような“わがまま”に映ることは一度もなく、当時、通訳やスタッフとしてチームに帯同していた筆者には、プロのアスリートとしての在り方を示してくれた先輩でもあった。  移動日の遠征先で、食事に連れていってもらったことがあった。前日の試合で五十嵐は、勝負が懸かった場面で起用され、痛打をくらっていた。  投手心理など、普段は聞けない話を聞かせてもらえるのか、と期待していた私をよそに、五十嵐は自分の好きなメニューを立て続けに注文し、気持ちいいほどの豪快なペースでアルコールとともに流し込んだ。店員とたわいない会話を楽しみ、さっと会計を済ませ「じゃ、また明日な!」と店を出ていった。かなり拍子抜けしたが、これが五十嵐のスタイルなのだと理解した。

「結果と感覚の差を埋めるのが僕の仕事」

 そんな一見武骨とも映る五十嵐は、現在の投手たちにどう向き合っているのか。 「今の野球は、“個の力”ではなく、チームで乗り切る時代。個人でうまくいかないときに、周囲の人の力を借りる。技術コーチがいて、メンタルコーチもいて、我々のようなアナリストがいる。 例えば、今年でいうとトレバー(バウアー)とは、よく喋るけど、彼は先発ピッチャーだから、試合後の会話は、『あの場面のあの球は、自分ではいい感覚だった』と詳細に感覚を伝えてくれる。僕は、その投球の動画をiPadで見せつつトレバーがいい感覚と言ったボールについて、球速がこれくらいで、ボールのスピン量はこれくらいで、でも打者の反応はこうだったよね……と会話を重ねる。 投手がいいと思った投球が、必ずしもいい結果に繋がるとは限らない。そんな結果と感覚の差を埋めるのが僕の仕事なんです」
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投手たちに求めるものはシンプル
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1973年、神奈川県生まれ。日大芸術学部卒業後の1997年、横浜ベイスターズに入社、通訳・広報を担当。'02年・新庄剛志の通訳としてMLBサンフランシスコ・ジャイアンツ、'03年ニューヨーク・メッツと契約。その後は通訳、ライター、実業家と幅広く活動。WBCは4大会連続通訳を担当。今回のWBCもメディア通訳を担当した。著書に『大谷翔平 二刀流』(扶桑社)ほか

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