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池袋の“定番デートスポット”が、ラブホと「5つの寺」に囲まれている理由

南池袋公園の周りには「5つの寺」が…

これだけであれば、都市再開発の事例として紹介するだけにすぎないのだけれど、ここで私が描きたいのは「ありのまま」の南池袋公園である。もちろん、南池袋公園自体はおしゃれで、きれいで、明るい雰囲気が漂っている。しかし、私がどうしても気になるのはその周辺のことである。有り体にいえば、南池袋公園の周りは猥雑なのである。 たとえば、そのすぐ裏手には墓地が見えていて、よくよく歩いてみると、この南池袋公園の周りには、多くの寺がひしめいていることがわかる。なんと5つの寺が南池袋公園の周りを取り囲んでおり、中には平安時代に開基され、昭和にこの場所に移された寺院もある。 これらの寺の多くは、寺自体が、とても寺院とは思えない近代的な建物になっていて、すぐに歩いただけではそこが寺であることがわからない。池袋という土地柄か、寺全体がビルになっている寺もあり、なかでもオシャレな「仙行寺」では、「池袋大仏」と呼ばれる大仏も造営され、「宙に浮く大仏」として有名である。

なぜ、多くの寺がひしめいているのか

あるサイトでは、このようにオシャレな公園のすぐ横にある寺について、「寺町散策も楽しめる」と書いてあるが、すぐ横に多くの寺がひしめいているその姿は、やはりどこかいびつで異様だともいえる。どうしてここにはこんなにも多くの寺がひしめいているのだろうか。 この5つの寺はすべて、昔は池袋以外の土地にあった。それが、太平洋戦争後の区画整理によって、1950年前後にここに移転された。実は、この一帯はかつて、「根津山」と呼ばれ、東武鉄道などの経営を行っていた根津嘉一郎が所有していた森林があった。 そこが戦争で焼け、文字通りの焼け野原になったために、そこにはさまざまな建物が移設されることになったのである。そもそも、南池袋公園自体も1951年に誕生しており、区画整理の際に生まれた公園である。南池袋公園と、この寺たちは同じ理由からこの場所に生まれたのである。そこには、根津嘉一郎という実業家の名前と、戦争の記憶が浮かんでくる。 根津嘉一郎と池袋の関係については、戦後の闇市の時代も含めて多くのことが語れるのだが、ここでは南池袋公園周辺の話に留めておくことにしよう。いずれにしても、ここが根津嘉一郎の根津山と大きな関係にあったことは確かなのである。 それと、戦争といえば、南池袋公園の一角には「豊島区空襲哀悼の碑」がある。これは、太平洋戦争時の「城北空襲」での犠牲者を追悼するための慰霊碑で、この空襲で亡くなった人たちが、根津山に埋められことからこの場所にある。意外にも南池袋公園は戦争という暗い記憶と関係が深いのである。
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ラブホテルや居酒屋も立ち並ぶ
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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