更新日:2024年09月14日 18:11
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「2004年に閉園したテーマパーク」現在は“心霊スポット”に… 創業者の想いは火事で焼失

全国に数多くあるテーマパーク。今もなお新しいテーマパークが生まれては人々を楽しませ続けている。しかし、そんなテーマパークには、あまり語られることのない側面が存在する。そんな、「テーマパークのB面」をここでは語っていこう。 そのホテルの地下には仏壇がある。でも、その仏壇は火事のあと、跡形もなく消えてしまった。その後、そこには幽霊が出るという噂が広まっていった……。これは、新潟にある、とあるテーマパークの話である。
新潟ロシア村

閉園後の新潟ロシア村(ccfarmer CC 表示 3.0)

かつて存在したテーマパーク「新潟ロシア村」

そのテーマパークは「新潟ロシア村」。1994年、新潟県笹神村(現阿賀野市笹神地区)に誕生。その名の通り、ロシアの生活や風俗をモチーフにしたテーマパークで、火事で焼けてしまったホテルは「マールイホテル」(「マールイ」とはロシア語で「小さい」という意味)といい、19世紀のロシア・クラシックを基調としたホテルだったようである。 その横には、ロシア正教の教会・ロジェストヴェンスキー大聖堂をモチーフにした「スーズダリ教会」があり、中にはロシア正教らしく、キリストたちを描いたイコン(聖画像)がびっしり貼られている。新潟ロシア村を紹介する雑誌によれば、この中では、1日4~5回にわたって、本場の民族舞踊団の踊りを鑑賞できたという(「日経地域情報」1994年7月号)。 他にも園内では、ピロシキなどのロシアの食べ物の販売から、バイカル湖に生息するバイカル・アザラシのいる水槽など、ロシアに関連するさまざまなものが集められた。

2003年に休園、そして2004年に閉園…

まだ、ロシアがソ連だった頃。日本人にとってその存在は遠く、ここは興味深く人々の目に映ったのだろう。オープンしてから1ヶ月の間に、4万5千人の人々が押しかけたのだ。年間目標が20万人だっただけに、好調な滑り出しだった。ピロシキは1日で最高5000個を売り上げたらしい(「アミューズメント産業」1993年10月)。 しかし、ここは新潟県。しかも規模は「駆け足でまわれば1時間とかからずに一通り見てしまえる」ほど。すぐに人々は飽きてしまう。客足も横ばいで、景気だけが悪くなってくる。何度かのリニューアルも行ったが、大きな成果をあげることはできない。さらに不幸なことに、このテーマパークの最大融資元だった新潟中央銀行が1999年に破産。その後もなんとか営業を続けるが、2003年に休園してしまう。 そして、再開の目処が立たないまま、2004年に閉園してしまうのだ。
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火事により、ホテルが消失。心霊スポットとして有名に
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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