加害者は自らが負った傷を、他人に背負わせようとする
田房:なるほどですね。私もいろんなセラピーなどに行き、一番しっくりきたのは、「一度、被害者をやり切らないと加害者になれない」という話でした。
自分がやらかしてしまったことはいったん置いといて、何でやらかしたのかという部分を掘り下げていくと、どうしても自分の過去の傷つき体験が出てくるんですよね。それを掘り進んでいく作業が必要で、やっとそこが何かに納得できたときに、自分の言動について客観的に考えられるようになる。
それが一番の近道というか、むしろ自分が辛かったことを振り返らずに、しでかしてしまったことだけを直すのは無理だと思います。加害をいったん切り離して、自分を癒すことで最終的に統合していくのだと思います。
『孤独になることば』の46ページにある、「加害者であった自分が変容するほど、関わりたくないと思う人が増えた」という部分にも共感しました。これは、自分にとって嫌な人と関わっていたということですよ。人に嫌なことをしちゃうときって、自分も他の部分で傷ついているんですね。
ここを読んで、昔、ハラスメントをされてた時のことを思い出しました。その人は相手が傷つくようなことでも自分が言いたかったら言っちゃう。相手から「どうしてそんなひどいことを言うの?」と聞かれると「事実を言っているだけ」と答える。金を多く稼いでる者がレベルが高くて、高レベルの人には従って、低レベルと認識した人にはすごく冷たい。そうした言動をする人がずっと謎だったんですが、パズルのピースがハマったかのように理解できました。きっと、自信がなかったんだろうなと。
中川:そもそも、自信をなくす原因は、この世界を役割と順位で捉える世界観ができてるからなのだろうと思います。低い順位につけられるのが恐ろしいから、誰もが上がることを駆り立てられる社会の中で、人は自信を失っていくと思うんですよね。
フェミニズムがやってきたことは、まさに構造を壊すことでした。これまで世界は、女性という存在を妻や母、あるいは商品という形に定型化して落とし込み、「良妻賢母」などの役割を合意なく押し付け、さらに順位付けを行ってきた。そして順位が低いと恥ずかしく、無能であるという価値観を強要してきたわけです。そのように、罪悪感や羞恥心を与えるコミュニケーション全てが僕は加害だと思うんですよね。
そういう意味でいうと、『キレる私を止めたい』の中で一番大事なことだと思ったのが、「夫って、結構口うるさい人なんだな」という描写でした。被害者として描かれている旦那さんも普通に、雑な行動をとっているんですよね。
田房:そうなんですよ。自尊心がめちゃくちゃに下がっている状態のときは、夫は神様のように優れている存在であり、それに比べて自分は世界の誰よりも劣っていると思っていました。しかし、そこはやはり「妄想の言語化」(※)なんですね。
妄想の言語化とは:前出の「現実の言語化」と対をなす概念。人は通常、自分の感情や思考・言動や起きている現実を認識・理解したうえで言語化する。それに対し、妄想の言語化は自身の思い込みや妄想に基づいた世界観を反映した言語化を指す(扶桑社『孤独になることば、人と生きることば』より)。
現実をちゃんと見たら、別に自分も相手も普通の人。人に加害をしないためには、そこを捉えることがものすごく大事なのだと思います。
【田房永子】
1978年生まれ、東京都出身。漫画家、コラムニスト。第3回アックスマンガ新人賞佳作受賞。2012年、母からの過干渉に悩み、その確執と葛藤を描いたコミックエッセイ『母がしんどい』(KADOKAWA/中経出版)を刊行し、ベストセラーとなる。ebook japanにて『喫茶 行動と人格』を連載中。
【中川瑛(えいなか)】
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。
DV・モラハラなど、人を傷つけておきながら自分は悪くないと考える「悪意のない加害者」の変容を目指すコミュニティ「
GADHA」代表。自身もDV・モラハラ加害を行い、妻と離婚の危機を迎えた経験を持つ。加害者としての自覚を持ってカウンセリングを受け、自身もさまざまな関連知識を学習し、妻との気遣いあえる関係を再構築した。現在はそこで得られた知識を加害者変容理論としてまとめ、多くの加害者に届け、被害者が減ることを目指し活動中。大切な人を大切にする方法は学べる、人は変われると信じています。賛同下さる方は、ぜひGADHAの当事者会やプログラムにご参加ください。ツイッター:
えいなか