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大名が「庶民の生活を体験する」スポット…日本における“元祖テーマパーク”が東京都心にあった

我々がテーマパークに行く感覚に似ている?

「非日常」の場所を楽しむために、大名が普段は行けない宿場町を再現してそこで楽しんでいるのだ。それは、現在、我々がレジャーを楽しむために、普段はなかなか行けない外国の街並みが再現されているテーマパークに行くことに、とても似ている。 御町屋があったのは江戸時代のことだが、人間がレジャーを楽しむために試みることが、時代を超えても変わらないことになんだか嬉しくなってしまう。 この尾張藩下屋敷にあった宿場町のテーマパーク(と言い切ってしまおう!)は、その発想があまりにもユニークだったからなのか、他の大名庭園でも類を見ない施設になっていて、実際のところその場所がどのようであったのかは詳しくはわからないらしい。しかし、いくつかの文献を当たってみると、その詳細が少しだけ見えてくる。

家臣が「キャスト」になり、VIPをもてなしていた

例えば、「御町屋」の周辺には「古駅楼」というエリアもあり、ここには小田原名物の外郎屋を模した2棟の建物などが再現されていたという。複数のエリアがあるのもまた、テーマパークっぽさを増幅させている。あるいは、尾張藩以外の大名が来たときには、大名の家臣たちが宿場町の町人たちになりきって、大名たちに物を売っていたらしい。 町人になりきる大名の家臣たちの姿を想像すると、なんだかおかしくなってしまう。それって今で言う、テーマパークのキャストじゃないか。ディズニーランドでは、そこで働く人々のことを、舞台で演じる俳優たちになぞらえて「キャスト」と呼んでいるが、尾張藩下屋敷で家臣たちは、まさに「町人」という役を「演じている」。正真正銘の「キャスト」である。すごい。このように、「御町屋」を見ると、「これってテーマパークじゃん!」と言いたくなってしまう要素が満載である。 こんな尾張藩下屋敷であるが、ここを目指してやってきたのが当時のVIPたち。なかでもとびきりなのは、徳川11代将軍の徳川家斉の来訪である。記録に残っているのだが、家斉だけで4回もの来訪があったという。 今でも、海外のテーマパークにVIPたちが訪れ、それがニュースになる、なんてことがあるが、当時もそういう感覚だったのかもしれない。家斉ほどのVIPでないにしても、尾張藩以外の大名たちもよく訪れていたことが史料からはわかっている。そして、訪れるたびに尾張藩の家臣たちはテーマパークのキャストとなり、ゲストである大名をもてなしたのだろう。 テーマパークというと、どうしても最近のもの、というイメージがあるが、実は歴史を遡ってみると、東京の過去にもこのようなテーマパーク的建物があったことに驚かされる。これもまた、日本のテーマパークの語られざる“B面”なのではないだろうか。 <TEXT/谷頭和希>
ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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