大会場でしか試合を組まれず、ふてくされていた時期が
――最近は男子の大会に女子選手が出場することも増えました。赤井選手がデビューした2013年当時はまだまだ多くありませんでしたね。
赤井:女子のプロレス団体に出場しなかったから、DDTのリングが唯一のレスラーとして活躍できる場所。でも最初は大きい興行でしか試合を組んでもらえなかった。試合が少ないと経験値を上げることができない。
「もっと試合がしたい」と声を上げても試合がなくて「なんで私は試合に出られないのか、何のために練習をしてるんだろう。私が弱いからかな」って悩んだ時もありました。
――DDTとしては、怪我をさせられないと考えたのではないでしょうか?
赤井:すごく気を使われてはいましたね。私としてはDDTの一員になりたかったんですけどね。プロレス界に入って、驚いたことがあります。まずプロレスって「プロ」なのに、メジャーとインディーがあるって知らなかったんです。
そしてインディーと言われる多くの団体はリング設営、撤収を自分たちでやります。DDTも自分たちでやっているのでびっくりしました。
「なぜタレントである出場する選手が、自分のステージであるリングを作るの? 自分たちが一番いいコンディションでパフォーマンスするために身体を整えるんじゃないの?」って。
設営の後、みんな試合があるのに汗だくで本番に臨む。なんか家族で地方巡業している小劇団みたいな感じ。最初は「なんじゃこれ?」って思ったんですけど、考え方は変わって「自分が上がるリングを自分たちで作るのは当たり前のことじゃないかな」って思うようになりました。
――赤井選手の考え方が変わったきっかけは何だったのですか?
赤井:DDTのみんなのことを仲間って思えるようになったからですね。思い始めたのはデビューして1年くらいかな。みんなシャイで私と全然喋ってくれなかった。DDTは人見知りが特に多いので。ほとんどネクラの陰キャばっかりですよ。それがまた可愛いんですよね(笑)。
22歳でラジオDJデビュー。その後、ナレーターとしてニュース番組を担当。またスポーツ実況を担当し選手個人に興味を抱きスポーツライターとして活動を開始。その他、司会やアニメーター等、様々な活動を続けている
記事一覧へ 11月12日両国国技館で赤井沙希選手の引退試合が開催。同門イラプションのメンバー坂口征夫&岡谷英樹とタッグを結成。元イラプションの樋口和貞、同期で東京女子プロレスの山下実優、そして“方舟の天才”プロレスリング・ノアの丸藤正道と対戦する。
詳しくは
DDTプロレスリングのWEBサイトをご覧ください。