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“174㎝53kg”モデル体型で男子レスラーと戦っていた赤井沙希。「引退するギリギリまで強くなりたい」理由

「枯れて朽ちていく花ではなく、美しいまま散る花でいたい」と引退の理由を語るのが、プロレスラーの赤井沙希だ。父親は元プロボクサーの赤井英和氏。2013年8月にデビューした彼女は、「DDTプロレスリング」で唯一の女子レスラーとして戦い続け、2023年11月12日にデビューと同じ場所「両国国技館」でレスラー人生に終止符を打つ。傷だらけになりながらも全力で駆け抜けた10年間を本人に振り返ってもらおう。
赤井沙希

赤井沙希

10年間は「あっという間だった」

――2013年8月18日、DDT両国国技館大会でデビューされて10年目。今年11月12日でプロレス引退を発表しました。10年という節目で引退を決意したのはなぜですか? 赤井沙希(以下、赤井):元々ゴールを決めていませんでした。目の前のことを一生懸命やっていると10年があっという間。ただ「いつまで続けられるのかな」って思いは、常にどこかにありました。 自分で辞める決断を下せるのはプロレスラーにとって幸せなことだと思います。求められているうちに卒業したい気持ちは大きいですね。求められなくなってから卒業するのも嫌ですし。 ――赤井選手は2013年8月プロレスデビュー。その経緯を教えてください。 赤井:2013年8月17日と18日にDDTプロレス両国国技館2DAYSが開催されました。プロレスの試合だけではなく、いろんなブランドや企業さんとコラボする大規模な大会です。 DDTプロレスの高木三四郎社長から「初日は他ジャンルとコラボする大会、是非ファッションショーでランウェイとリングを歩いて欲しい」と誘っていただきました。そして2日目に、「プロレスデビューして欲しい」と言われました(笑)。

「リングの上は神聖な場所」だと教えられて育ったから…

赤井沙希――初日と2日目の内容の落差がすごいですね(苦笑)。なぜプロレスラーに? 赤井:当時、プロレスは何か「おイタ」をした芸能人がデビューする印象がありました。プロレスに一切関わることがなかったから、その悪いイメージが先行していたんです。 プロレスは食わず嫌いで観ていなかったけど、新日本プロレスのお仕事がきっかけで観るように。「思っていたものと全然違う。ヤバい……推しができてしまった。この選手、素敵!」と180度考えが変わって、普通にハマっちゃいました。 プロレスは誰でもできるわけではない。多くの人がプロレスに興味を抱いてくれたら、その人の人生が潤い、幅が広がる。とにかくみんなに知ってもらいたかった。 でも私は芸人さんみたいに面白い言葉で伝えることができない……。そんな時に高木社長から声をかけてもらいました。でも、最初はレスラーになるつもりは全くなかったです。 私は格闘家の家で育ち、チャンピオンベルトも触っちゃいけないって言われていました。ロープの数はプロレスとボクシングで違うけど、リングの上は神聖な場所だと教えられて育ちました。ですから「私なんかがリングに上がるのは失礼に値する」と考え、最初は高木社長のオファーを断りました。
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死ぬ気で取り組める“何か”がほしかった
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11月12日両国国技館で赤井沙希選手の引退試合が開催。同門イラプションのメンバー坂口征夫&岡谷英樹とタッグを結成。元イラプションの樋口和貞、同期で東京女子プロレスの山下実優、そして“方舟の天才”プロレスリング・ノアの丸藤正道と対戦する。

詳しくはDDTプロレスリングのWEBサイトをご覧ください。
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