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深夜2時まで診療する“歌舞伎町の住人が駆け込むクリニック”院長を直撃「患者の8割は不法滞在者だった」

 歌舞伎町のほど近く、百人町に“駆け込み寺”として、知る人ぞ知る病院がある。休診日は土曜日だけ。それ以外の日は、毎日深夜2時まで診療しているアスカクリニックだ。貧しく病む者への慈悲を忘れず、弱者に寄り添う“現代の赤ひげ先生”こと、医師で僧侶の山中秀晅(しゅうけん)先生に話を聞いた。

2001年にオープンしたアスカクリニック

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アスカクリニック院長で僧侶の山中秀晅氏。白衣の作務衣がトレードマーク

 アスカクリニックがオープンしたのは、今から22年前の2001年――。  その年は、44名もの痛ましい犠牲者が出た歌舞伎町のビル火災事件が起きた年だ。石原都政時代のことだが、ビル火災はその後の“歌舞伎町浄化作戦”の引き金にもなった。山中先生は、どんな経緯でクリニックの院長となったのか。 「私は1990年に北里大学を卒業して以降、大学病院の耳鼻科医として勤務していました。  医師になって2年目に国際的人道支援を行なっているNPOと出会い、勤務の傍らボランティアとして医療が不足しているところに物資を届けたり、インドに病院を建てたりするお手伝いをしていたんです。そうした活動を通じて、京都の東寺256代目砂原秀遍長者から得度していただき、僧侶になりました。  専門は耳鼻科ですが、福島県只見の診療所など医師不足の土地に出向し、内科や外科といった畑違いの分野全般の診療も担当していました。その経験が、今に活きている部分は大きいですね」  そんなある日、NPOアスカ海外文化交流会から山中先生のもとに「日本国内にも、不法滞在者や生活困窮者など医療にアクセスできない人々が存在する。そうした人たちのために、深夜まで診察する病院を開設したいので手伝って欲しい」という要請が舞い込んだ。 「クリニックの場所も、診療機材もすべて用意してくれて、私は身ひとつで行くだけ。そんな話でした。僧侶として日々の生活の中で修行することが私の使命ですし、それまでのボランティア活動でグループの意図をよく知っていましたから、即答で院長を引き受けたんです」
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「開院当初、8割は不法滞在者だった」
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飛鳥クリニックは今日も雨(上)

世間を騒がす鬼才が放つ、珠玉のノワール。

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