ガテン系の現場に若き女性の姿。“残土ガール”の正体が意外すぎた
上京後、待っていたのは“どん底”生活
岡山県出身、小学校1年生の頃に「夏祭りのステージで踊っているお姉さんたちを見て憧れを抱いた」というYukaさんは、地元の大会で優勝するほどの名門チームでダンスの技術を磨いてきた。
「大学受験のときまでダンスを続けていたのですが、家族が厳しかったので、そこで辞めざるをえなかったんです。親が医療系の仕事をしている関係で、看護系の大学に入学しました。でも、やっぱりダンスがやりたくて。成人するまでは親の言うことを聞くけど、それ以降は自由に生きようと思いました」
そして、20歳になるときに単身上京。「本腰を入れてダンスをやるからには海外挑戦もしたい」という夢を描いていたが、待っていたのは“どん底”生活だった。
「自分が“お嬢様”だったとまでは言いませんが、家族に頼っていたのでアルバイトもしたことがなくて。飲食店でどれだけ必死に働いても月20万円程度。当時、ダンスに至っては月3万円ぐらいしか稼げなくて。お金を稼ぐのってこんなに大変なのかって驚きました。
アメリカにレッスンを受けに行くお金を貯めるために、毎日もやしナムルと白米を食べてしのいでいましたね。そんな状況なのに、親からは『うちの子じゃない』って見放されているうえに、頼れるような友達もいなかったので、上京1年目は本当にキツかったです」
「ダンサーって稼げないもんね」に奮起
その後は時給の良いキャバクラやガールズバーで働きながら、クラブイベントに出演するなどしてダンスの修行を積んでいた。
「クラブのお客さんに自分の状況を話すと、たいてい『あー、ダンサーって稼げないもんね』って反応なので。私みたいな地方から出てきた子に関しては、実際に厳しい現実があります。ただ、内心は“今に見ておけよ”って。
田舎に住んでいるうちの家族も、『ダンサーって仕事なの?』という感じで。逆に言えば、“いつか認めてもらいたい”って気持ちがあったからこそ、どんなに大変でも頑張れたんだと思いますけどね」
Yukaさんはしっかり稼いでいくために試行錯誤を続けた。
「私は派手な見た目でいることが好きなので、“その他大勢”とか“量産型”みたいなダンサーにはなれなくて、表舞台の仕事はなかなかもらえなかったんです。そんななかでも負けずに食べていくために、インストラクターとか振り付けとか、裏方の仕事をやろうって。そのうちに、どんどん単価があがっていきました」
明治大学商学部卒業後、金融機関を経て、渋谷系ファッション雑誌『men’s egg』編集部員に。その後はフリーランスで様々な雑誌・書籍・ムック本・Webメディアの現場を踏み、現在は紙・Webを問わない“二刀流”の編集記者として活動中。若者カルチャーから社会問題、芸能人などのエンタメ系まで幅広く取材する。趣味はカメラ。X(旧Twitter):@FujiiAtsutoshi
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