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「障害者が堂々としてんじゃねぇぞ」と怒鳴られたことも…“死にきれなかった”女性が車椅子生活でたどり着いた境地

マンションの屋上から身を投げて…

 生活そのものよりも、心が荒む生活を送るうち、当初目指した美術大学など遠い存在になった。水商売を卒業して、一般企業で働いていたとき、悲劇が起きた。 「自分にもようやく信じられる人ができたと思っていました。しかしさまざまなボタンの掛け違いで、思ったように運びませんでした。くわえて、大切な人を失ったことを契機として、私のなかでこの世界に対する未練が消えてしまったんです」  当時住んでいたマンションの屋上から、曽塚氏は身を投げた。偶然吹いた風の影響で木の枝がクッションの役目をし、死にきれなかった。 「一年間、病院を3つも転々とし、その果てに車椅子生活。私は医師に対し、『神経痛も酷いから、この左足、切り落としてもらえませんか』と願い出ました。ところがその医師は悲しそうな顔をして、『主治医の先生はあなたのために、足を切断しないで済むように、何度も手術をしたんだよ』と言いました。その気持ちを汲んでほしいというのです。  私の左足は通常は曲がらない方へ折れていただけでなく、感染症も起こしていましたから、7〜8回に及ぶ手術をしていました。忙しいなかでも根気強く処置してくれた医師たちから、『自分を大切にしてほしい』と告げられると、これまで何度も聞き流していたその言葉がすとんと自分の胸に落ちていきました

初めて心から「ありがとう」が言えるように

 つらいリハビリ生活のなかで曽塚氏が獲得したものは、身体の機能ばかりではなかった。 「手術直後、私は寝返りさえ打てませんでした。座るなんてもってのほかです。しかしリハビリを経て、まったく下半身を動かせない状態から、足が直角に曲がるようになったり、上体を起こせるようになったり、本当にわずかずつ前進がありました。それを見てリハビリの先生や看護師さんたちが本当に喜んでくれました。これまで私は人を見れば敵だと思っていました。でも、そうではなかった。そう思えたときに、初めて心から『ありがとう』が言えるようになりました
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車椅子生活になってたどり着いた境地
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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