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“もう辞めた”なんて言えない…岡田武史が語る経営者の苦しみ「代表監督とは質が違う」

 元サッカー日本代表監督の岡田武史さんは、2013年に杭州緑城(中国スーパーリーグ)の監督を退任後、現場の指導者からは一線を退くことになる。そんななか、2014年にはFC今治(四国サッカーリーグ)を持つ株式会社今治 夢スポーツのオーナー経営者としての道を歩み始めたのだ。
岡田武史

岡田武史さん

 日本人が世界で勝つために体系化した独自の“岡田メソッド”、スポーツによる地域創生や持続可能な地域の発展を目指す“今治モデル”など、これまでにない新機軸を打ち出して挑戦を続けてきた。  さらに2024年には、今治市の学校法人である「今治明徳学園」の学園長に就任し、教育分野に進出を図る。  答えのない時代において、学生が主体性や共助の精神を育み、未来を切り拓くための学びと実践を、学校教育を通じて提供していくという。経営者や学園長として意識すること、これからの時代に必要な生きる力や審美眼について、岡田さんに伺った。

経営者ならではの“質”の異なるプレッシャーに直面

FC今治

FC今治の試合風景

 2014年に株式会社今治 夢スポーツの経営者として参画。FC今治のオーナーに就任する。  サッカーの監督は長年務めてきたものの、経営者の経験は皆無だったため、最初はさまざまな経営者に話を聞きにいったという。  多くの人に会い、教えや助言をもらうなかで、ほとんどの経営者が重要視していたのが「MVV(ミッション・ビジョン・バリュー)」を決めることだった。こうして、生まれたのが「次世代のため、物の豊かさより心の豊かさを大切にする社会創りに貢献する。」という今治 夢スポーツの企業理念である。 岡田武史 サッカーの監督ではなく、会社経営者として経験した苦労について伺うと、「サッカーの監督と違って、経営者は社員に“クビ”を言い出せないこと。また、サッカーの指導者では味わえない経営者ならではの“質”の異なるプレッシャーに苦心した」と話す。 「日本代表の監督を務めていた頃は、ものすごいプレッシャーを背負っていましたが、会社経営に関しては“真綿で首を絞められる感覚”のような、じわじわとプレッシャーを感じるのが個人的に苦手でした。サッカーの監督は自分から『もう辞めた』と言えますが、経営者はそんなことを口に出せない。例え、3ヶ月後に資金が尽きて社員に給料が払えなくなるみたいな経営状況に悪化したとしても、逃げられないんですよ。  私としては、何か試練や困難が来るんだったら『どんとこい!』と思うタイプなので、経営者ならではのプレッシャーとどう向き合い、乗り越えていくかが、初めの頃は大変でした。それでも、サッカーの監督時代と変わらないのは、諦めず、逃げ出さずに『もうやるしかない』という気持ちを持ち、全力で取り組んでいく姿勢でした」(岡田さん、以下同)

背水の陣に追い込まれてから初めて火がつく

今治里山スタジアム

今治里山スタジアムの外観 (C)FC IMABARI

 2023年1月に竣工した今治里山スタジアムは、“ 365日いつでも楽しめる場所”として誕生し、5000人以上収容できる観客席を誇るほか、スタジアム周辺にはカフェや交流施設、ドッグランなどを構える。  同スタジアムの建設にあたっては「総工費40億円」という巨額な資金を、全て自前で調達したという。  地域住民や自治体、パートナー企業、支援者など、多様なステークホルダーを巻き込み、一大プロジェクトを実現できたのは「腹を括って、命を捧げる覚悟で取り組んだ」からだと岡田さんは述べる。 「40億の資金調達をするということに対し、最初は周りから『ホラ吹き』だと笑われたんです。でも、やると決めたらやるしかないわけで、もう死にものぐるいですよね。今できることは何か。行き詰まったとしても、何か打開策はないのか。  プロジェクトを実現するためにできることは全部やり、死にものぐるいでゴールへ向かっていくことを大切にしていました。一方で、自分が追い込まれるまでカッコつけてしまうところがあって(笑)。切羽詰まって、もう後がない。そうなって初めて覚悟を決め、背水の陣の状態で物事に取り組むことで、どんなことにもひるまない突破力が備わり、前に進んでいけるんです」
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「勝負の神様は細部に宿る」からこそ大事にすべきこと
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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