問題を起こし家裁に送られた少年を一定期間預かる制度「補導委託」。その引受先となった父子の物語/『風に立つ』書評
―[書店員の書評]―
世の中には読んだほうがいい本がたくさんある。もちろん読まなくていい本だってたくさんある。でもその数の多さに選びきれず、もしくは目に留めず、心の糧を取りこぼしてしまうのはあまりにもったいない。そこで当欄では、書店で働く現場の人々が今おすすめの新刊を毎週紹介する。本を読まなくても死にはしない。でも本を読んで生きるのは悪くない。ここが人と本との出会いの場になりますように。
2024年は甚大な自然災害から始まる一年になってしまった。住む家が壊れてしまうなど生活を崩されてしまった方々、家族や友人を失い、震災によって大変な思いをされてるすべての方々に心からのお見舞いと、休息と安寧が一日でも早く訪れることを願っている。
普段、私は世の中の裏側を描くノンフィクションや、人間の内面や深淵に迫った小説を好んでよく読んでいる。ただ今は、そういったヒリヒリさせられるシリアスな作品よりも、読んで心が温かくなるような作品を届ける時期ではないかと思い、今回はそんな小説を紹介したいと思う。
柚月裕子はハードボイルドなミステリー小説を書く作家としてよく知られている。映画化されて大ヒットした刑事小説『孤狼の血』、将棋界を舞台にしたミステリー作品『盤上の向日葵』などいくつもの人気作品があるが、その柚月裕子が今回初めて家族小説を書いた。それが『風に立つ』である。
舞台は岩手県盛岡市。南部鉄器を作る工房「清嘉」で働く38歳の職人、小原悟が主人公である。工房は悟の父親で親方でもある孝雄が経営し、悟ともう一人の職人・林健司の3人で回している。あるとき悟は孝雄に呼ばれ、問題を起こし家裁に送られてきた少年を一定期間預かる制度「補導委託」の引受先にこの工房がなったこと、そして16歳の非行少年・春斗をうちで預かることになったことを突然聞かされる。
悟は大きく戸惑う。なぜなら父・孝雄は優秀な南部鉄器の職人であるものの仕事一筋で、父親として子供と遊んだりすることもなく、およそ教育というものに関心があったように思えなかったからだ。自分の子供の面倒も見なかった人間が、非行少年の再起の手助けをする――納得できない悟だったが、孝雄を尊敬する職人の健司と、現在は嫁いで家を出た悟の妹・由美の2人が孝雄の補導委託に前向きな返答をしたために、悟も渋々と受け入れることになる。
春斗は勤務時間内は真面目に仕事をしているが、週末になると短時間の外出を繰り返し、その内容には答えない。さらに日本中をバイクで旅をして、カネがなくなると工房で長期間バイトする生活を繰り返している先輩アルバイト・八重樫が戻ってきて、年下の春斗に攻撃的に当たり出す。春斗の受け入れによって生まれる厄介ごとに苦慮しながら、悟は「どうして父は補導委託など始めたのか」と疑問に思う……。
この作品は登場する人物のキャラクターがはっきりしている。腕は確かだが口数が少ない、頑固職人の父・孝雄。父親に対していまだ胸襟を開けないでいる、息子の悟。すでに家を出て別の仕事をしているものの、しばしば家を訪れて尽力する情に厚い妹の由美。あけすけに思ったことをなんでも口にしてしまう先輩職人の健司。必要なこと以外はほぼ話さず、何を考えているかわからない16歳の春斗。直截的なものの言い方をする28歳の八重樫。
健司や由美、八重樫は他人に過干渉で、平気で首をつっこんでくる。他人の動向や来歴を気にして、一方で揉めごとがあるとその原因を当事者に聞かず周りの人に聞いてくる。若干めんどくさい。だが、その過干渉は昭和のホームドラマみたいにどこかなつかしく、良くも悪くも今の自分の環境にはないものだった。
同じ工房で働きながら、悟は父の孝雄にわだかまりを持っている。孝雄もまた、悟に説明をしない。コミュニケーションをとらない。母親をなくしている家庭で、彼ら親子の間には明確な空白がある。その空白が春斗の変化と、物語後半で起きるある事件によって縮まっていく。そして悟は孝雄が「なぜ突然、補導委託を始めたのか」という理由を知る。
「家族を大事にする」という思い自体は誰もが持っていてる。その「方法」についての考え方は人それぞれであって、その真意が子供や家族に届いているかはわからない。人は「自分こそ苦しい」と考えて、他人を「恵まれている」と見てしまう、どうしようもない構図がある。けれどその「恵まれている」ように見える人も、内面では苦しい思いを抱えていたりする。
健司が行きつけというスナックのママの言葉が、読み終わった後に効いてくる。
「人なんて、どんなに話し合ったって百パーセントわかり合えることなんてない。それが近くにいる人ならなおさら」
近くにいる人間に対しては「言わなくてもわかってくれている」と考えてしまう。それは自分にも思い当たる節がある。それをママから指摘された気分になった。冬の屋外で寒さに震えていると温かいカイロを手渡された、そんな読後感のある小説だった。
評者/伊野尾宏之
1974年、東京都生まれ。伊野尾書店店長。よく読むジャンルはノンフィクション。人の心を揺さぶるものをいつも探しています。趣味はプロレス観戦、プロ野球観戦、銭湯めぐり
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