「いい経験でしたよ、決していい思い出ではないけどね」五十嵐亮太が語った“メジャーリーグでの3年間”
幕を閉じたアメリカ生活「苦しかったけれども…」
しかし、ここでも出番を与えられることはなかった。ヤンキース時代には2試合に登板した。古巣メッツとの「サブウェイシリーズ」では、先発・黒田博樹の後を受け、チームに勝利をもたらしたこともある。
「ヤンキースではほとんど出番がなかったけど、イチローさんも黒田さんもいたし、球場に行けばスター選手のデレク・ジーターにロビンソン・カノもいた。ほぼマイナー生活でしたけど、とても充実していた時期でした」
野球には真摯に取り組み続けた。このヤンキース時代に新球・ナックルカーブを習得する。持ち球のカーブに改良を加え、人さし指を立てるように投じることで、落差の大きいカーブをものにしたのだ。
こうして、五十嵐にとってのアメリカ生活は幕を閉じた。やるだけのことはやり切った。そんな自負があった。
「正直、3年目のシーズン途中に日本に帰ることもできました。けれども、最後までやり切った。僕にとっては苦しかったけれども、大切なのはその経験を後の人生に繫げること。そうでなければ、あの3年間の意味がなくなってしまうから」
ヤンキース時代に習得した新球で日本球界に復帰
―[サムライの言球]―
1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数 【関連キーワードから記事を探す】
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