ここ数年のテレビドラマは「モノローグが多すぎる」
つまり、音による説明(劇伴や効果音は別)には一切頼っていないということ。映画と違って、テレビドラマは“ながら見”も想定している。
ワンショットずつ丁寧に画を見せることよりも、音ありき、音勝負の側面が強い。当然、台詞が重視される。映画は監督で、ドラマは台詞を書く脚本家のクレジットがメインになるのはそのためである。
とはいっても、
何だかここ数年のテレビドラマはあまりにもモノローグが多すぎやしないか? そんなに丁寧に説明されなくたって、わかるってのに。古来から、シェイクスピア演劇など、モノローグの多様は、お芝居の常套的手法ではあったものの、
映像演出ではむしろモノローグは最低限にとどめる必要があると思うのだ。
1940年代、黄金期のハリウッド映画でもモノローグは頻出した。なのにあえて逆をいくが故の傑作もある。例えば、巨匠プレストン・スタージェス監督作
『殺人幻想曲』(1948年)。妻の不倫を疑う指揮者が演奏会中に繰り広げる妄想殺人が描かれるコメディ作品なのだが、カメラが指揮者にズームすれば主人公のモノローグが絶対に流れると思うのに、流れない。スタージェス監督による不使用の美学とその潔さが光っていた。
筆者個人の印象だが、現行のテレビドラマは、あれもこれもという具合に、十中八九がモノローグを多用している。モノローグもナレーションの一形態だが、
語る本人の性格だけでなく、より繊細な心の襞みたいなところまで表現が深化される必要がある。しかもできることなら、叙情的に、文学的に。
近年の代表作としては、BLドラマの新時代を開いた
『30歳まで童貞だと魔法使いになれるらしい』(テレビ東京、2020年)が、心の声が聞こえるという主人公の設定を見事に活かした滋味深い心の声を響かせた。それによって赤楚衛二と町田啓太が、どれだけ豊かなコンビ愛を温め、その後のBLモノローグの高い表現力を錬磨したことか。
あるいは、似たような設定として、“テレパス”で目があった相手の声が聞こえる
『Eye Love You』(TBS、毎週火曜日よる10時放送)でも、日本語と韓国語の言語差をうまく声のドラマとして消化している。あるいはまた、金子ありさ脚本によるラブコメ作品
『恋する警護24時』(テレビ朝日、毎週土曜日よる10時放送)は、主演の岩本照の第一声にモノローグを限定的に採用することで、ボディガード役の寡黙な佇まいをむしろ際立たせる。
その一方、
モノローグの過剰さによって“一人語りロンダリング”と形容できるドラマが量産されてもいる。具体的なタイトルの言明は避けるが、例えば、特に取り柄もない主人公の通勤途中、横断歩道の前でふと立ち止って、ひとりもごもご……。みたいなワンシーンをよく見かける。
主人公の心情を蚊の鳴くようなモノローグで冗長に説明する画面をわざわざ見たいだろうか。モノローグ乱発時代のトレンド事情とはいえね……。玉石混交の中、では、福田麻貴ドラマ初主演と銘打たれる『婚活1000本ノック』は、実際どうなのだろう?
コラムニスト・音楽企画プロデューサー。クラシック音楽を専門とするプロダクションでR&B部門を立ち上げ、企画プロデュースの傍ら、大学時代から夢中の「イケメンと映画」をテーマにコラムを執筆。最近では解説番組出演の他、ドラマの脚本を書いている。日本大学芸術学部映画学科監督コース卒業。Twitter:
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