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Creepy Nutsの新曲「Bling-Bang-Bang-Born」世界的ヒットの理由。言語の違いを超える“中毒性”を分析

歌詞の意味がわからなくても楽しめる理由

    そして「Bling-Bang-Bang-Born」と「PPAP」は、音数を最小限にとどめている点でも共通しています。聞き手の意識を集中させられるので、楽曲のキャッチーさがより凝縮して伝わります。サウンドを削ぎ落とすことで、曲のエッセンスがわかりやすく残る。Creepy Nutsがどのようなアイデアで組み立てていったか。その骨格を聞きながら確認できるほどにクリアなのですね。歌詞の意味がわからなくても楽しめる理由です。    かつてアメリカのヒップホップ・グループ「ブラック・アイド・ピーズ」のウィル・アイ・アムは、こんな予言をしていました。曲からヴァースやコーラスといった区分はなくなり、すべてのセクションがコーラスになるだろう。男女問わずキーの高い低いも関係なく歌える曲が売れる時代が来る、と。  シュプレヒコールのような「Bling-Bang-Bang-Born」のボーカルパートも、その要素を備えていると言えるでしょう。  この煮詰めたシンプルさのおかげで、「Bling-Bang-Bang-Born」という弾ける言葉の響き、歌のメロディが効いてきます。  せっかちなテンポとロシア民謡風の重厚なメロディはユーモラスです。大正時代の映像みたいな早送り感で、その組み合わせにも作者が皮肉を込めているのだと感じます。  そうした土台があって、巻き舌気味に“ぶりりぃん ばん ばん ぼん”と歌うと、言葉にマジックが生まれるのですね。何の意味もない語句の羅列なのに、テンポ、Bフラットマイナーのキー、オリエンタルなメロディとあいまって、この曲のタイトルが「Bling-Bang-Bang-Born」以外にはありえなくなる。  繰り返しになりますが、意味には何一つ重要なメッセージは込められていません。しかし、あらゆる音楽的な計算、策略がハマると、「Bling-Bang-Bang-Born」という言葉は替えの効かないものになる。テクスチャーを変質させ、トーンを一変させること。その瞬間に、音楽のミラクルが生まれるのですね。

“芸術的な荘重さ”ではなく、“計画的な軽薄さ”

   アメリカのロックギタリスト、フランク・ザッパ(1940-1993)はこう語っています。 <言葉が音声学上、音楽を助けるように使われるのだとしたら、歌詞はあくまでも控えめであるように曲全体を構成しなければならない。音楽に質感を与える、という機能だけのために。そのいい例が、1950年代のドゥワップ・ミュージックだよ。例えば「Da Doo Ron Ron(ダ・ドゥ・ロン・ロン)」。一体、この歌詞にどういう意味がある? でも立派な曲であることに違いないんだ。>(『インスピレーション』 著ポール・ゾロ 訳丸山京子 アミューズブックス刊 p.249)  まさにこの質感を抽出するために、R-指定、DJ松永、それぞれの能力を駆使している。同時に、余計なギミックを我慢しています。「Bling-Bang-Bang-Born」の歌メロ部分は、「Da Doo Ron Ron」そのものです。語句の中にあるサウンドを引き出すことに集中しているからです。  このように目的と方法が明確なので、ユニバーサルデザインのように形状と機能が一致しています。言っていることの中身が理解できなくても、何をしているか、もしくはしたいのかが伝わる音楽だというわけです。  それが芸術的な荘重さではなく、計画的な軽薄さによってもたらされている点が、本質的にヒップホップである点も見逃せません。  ゆえに「Bling-Bang-Bang-Born」は立派な曲であり、言語の違いを超えて決定的な響きを得ることに成功したのです。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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