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大規模特殊詐欺「ルフィ」を壊滅させた2人の女⑥〜「解放されて、自由で、楽になって、刑務所に入ってもいいから日本に帰りたかった」

4年間のかけ子生活

写真はイメージ

 結局、山田はフィリピンに4年ほど滞在した。その間、ルフィグループのためにひたすら電話をかけ続けたのだ。  2021年、それはルフィらがのちに日本列島を震撼させる「タタキ」(強盗)を始める直前だった。幹部がビクタン収容所に収容された。山田は幸運にも逮捕を逃れた。  幹部からの暴行などの恐怖から解放された山田は、収容所に収監されてもなお、指示を送ってくる幹部に従うのがバカらしくなった。意を決した山田は「死ぬまで犯罪で生きていくのが嫌になった」と在フィリピン日本大使館に逃げ込んだのだ。 「解放されて、自由で、楽になって、刑務所に入ってもいいから日本に帰りたかった」と、この時の心境を裁判で供述した山田だったが、皮肉なことに、ルフィの幹部と同じビクタン収容所で、日本への強制送還を待つことになったのだ。  当時はコロナ禍で、世界中の国境が閉じていた。それはフィリピンも同様だった。強制送還がすぐに叶わないと知った山田だが、またもルフィグループに取り入れられたのだ。そして、収容所から再び電話をかけ続けることになった。  エースと言われた山田の腕は錆びついていなかった。すぐに、幹部のいるエアコンの効いた「VIPルーム」への入室が許された。実は、このあとに起こる、連続強盗事件の実行犯、永田陸人が逮捕されるきっかけとなった、足立区の強盗未遂事件の前日に「アポ電」をかけたのが山田だった。  裁判で「実際に手を下していないので犯罪行為をやっているとは思っていなかった」と証言した山田。ルフィグループ幹部たちも、罪悪感が薄く、忠実な部下である山田を最後まで信頼していたのだ。  その後、90歳の老女が死亡し、広域強盗事件が世間へ知られることになった「狛江事件」へのルフィグループの関与が明らかになり、渡邉、藤田ら幹部4人の強制送還が実現した。その後、山田も強制送還され、機内で逮捕されている。 詰めかけた報道陣を前にふてぶてしく歩く4人とは対照的に、飛行機から降りた山田が、カメラの前で深々と頭を下げたのが印象的だった。 (次回に続く) 取材・文/週刊SPA!特殊詐欺取材班 写真/PIXTA
『週刊SPA!』誌上において、特殊詐欺取材に関して、継続的にネタを追いかける精鋭。約1年をかけて、「ルフィ」関係者延べ百数十人を取材した
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「ルフィ」の子どもたち 「ルフィ」の子どもたち

「ルフィ」事件にかかわった
実行犯12人の素顔

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