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元チームメイト・松井秀喜とメジャーで対決。岡島秀樹が回顧「松井さんと対戦するのはイヤでした」

元同僚・松井秀喜との対決、ワールドチャンピオンへと導く

サムライの言球 6月1日には、同じくヤンキース戦でメジャー初勝利をマークした。もはやチームに欠かせない存在となっていた。 「もともと、メジャーリーグの知識がほとんどなかったので、レッドソックスとヤンキースとの関係も、巨人と阪神のようなものなのだろうな、と理解していたんですけど、実際はファンだけでなく、選手も首脳陣も、ヤンキースに対するライバル意識は、僕の想像以上のものでした。『絶対にヤンキースには勝たなくちゃいけないんだ』というのは、早い時期から実感することができましたね」  ジョニー・デイモン、デレク・ジーター、アレックス・ロドリゲス、ジェイソン・ジアンビー、そして松井秀喜。当時のヤンキースは強打者揃いだった。 「他の選手はまだいいんですけど、松井さんと対戦するのはイヤでしたね。ジャイアンツ時代に勝負強さを間近で見ていましたから。目も合わせたくないほどだったので、ほとんど外角に投げてフォアボールばかりでした(笑)」

外国人であるという疎外感はなかった

 渡米初年度となった’07年、レッドソックスはヤンキースを撃破した。さらにリーグチャンピオンシップシリーズ、そしてワールドシリーズを制覇してチャンピオンに輝いた。 「メジャーでの優勝が、僕の野球人生にとって最大の出来事でした。改めて『勝たなきゃ意味がない』『2位じゃダメなんだ』と痛感しました」  ’07年の66試合を皮切りに、それ以降も64、68、56試合と、完全に中継ぎ陣の屋台骨を支える活躍を見せた。  しかし、レッドソックスと再契約を結んだ’11年はオープン戦での不振が響き、渡米以来初めて、開幕一軍枠から外れてしまった。4月にすぐにメジャー復帰したものの、チームは他球団からトレードで投手を獲得。岡島の出番は急激に減ってしまったのだ。 「この年はマイナー暮らしが続き、シーズンオフにレッドソックスを離れることになりました。でも、すぐにヤンキースとマイナー契約を結ぶことができ、『まだアメリカで投げられる』と希望を抱いて、’12年を迎えたんですけど……」  ’12年のキャンプイン直前、岡島のもとに信じられない通知が届いた。メディカルチェックの結果、「あなたの肩には異常があるので、契約はできない」と告げられたのだ。 「本当に驚きました。何も痛みはなかったからです。それでも、医師の言うことは絶対なのでいくら言ってもダメでした。このときが、野球人生最大のショックでした」
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『野球人生の最後はアメリカで迎えたい』
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1970年、東京都生まれ。出版社勤務を経てノンフィクションライターに。著書に『詰むや、詰まざるや〜森・西武vs野村・ヤクルトの2年間』(インプレス)、『中野ブロードウェイ物語』(亜紀書房)など多数

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