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「女の子だから」父に褒めてもらえず…“困難な環境”で育った女性画家が強い劣等感を克服するまで

たまたま入った美術部が居場所になった

大河原愛氏

「深層の森」(キャンバスに油彩・アクリル,  108 x 84 cm,  2017年制作, 個人蔵)

 父親の言葉に傷つき、翻弄された子ども時代。本人に悪気がないため、いくら話しても周囲の気持ちは伝わらない。 「父の空気を読めていない発言も、悪意からくるものではないと知っているからこそ、複雑な思いでした。父の自己中心的に見える言動の受けとめ方もわからないし、自分の気持ちをわかってもらえない辛さに打ちひしがれる日々でした。小さい頃にこのような父を見ていたからこそ、『人の気持ちや痛みに寄り添えるひとでいたい』『人に優しい言葉をかけられる人でいたい』と強く思うようになりました」  父親から認められず、自己否定されたように感じ続けてきた大河原氏が絵画と出会ったのは、中学生の頃だ。 「中学では運動部に入りたくなくて、たまたま美術部に入部したんです。そこではじめて鉛筆デッサンを教わったら顧問の先生が、『うまいじゃないか!』とすごく褒めてくれました。両親からろくに褒められたこともない私は、初めて人から褒められたように感じて……自分はここに居ていいんだと思えた瞬間でした」

「芸術の才能がある」と自負していた父は…

 絵の道を選んだ大河原氏は、母親の目にはどのように映ったのか。 「高校は美術科へ進学しました。他の生徒との展示会を見せたあと、母から『あなたは才能がない』と言われて。当時は自分でもそう思いました。目の前のものをデッサンしろと言われたら得意でしたが、自由に描くように言われても、本当に何を描いていいか自分でもわからなくて苦しかったんです。自分にしかできない表現はなんなのかと、いつも模索していました。美大に入学してからも思うように描けなくて、何度も絵をやめようかと考えました」  家族との関係性が画家としての姿勢や作風に与えた影響は大きい。 「父はいつも『自分には芸術の才能があるんだ。もっと時間があれば、退職したら素晴らしい作品が作れるんだ』と言いながら、リビングに置かれた3台ものテレビを見続けていました。そんな父の姿を見て育ったので、『何かをしなければ』と焦りを感じ、絵に打ち込む原動力にもなりました」
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「描けなければ生きる価値はない」と思った
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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【告知】
展示タイトル:大河原愛展「静けさの内に留まる羊は、いかにして温もりを手に入れたか II」
会期:2024 年 6 月1日(土) 〜 6 月 20 日 (木)
時間:10 : 30 ~21 : 00(最終日は17時まで)
会場:銀座 蔦屋書店 アートスクエア
所在地:東京都中央区銀座6丁目10-1 GINZA SIX 6F
お問合わせ先:ギャラリーNODA CONTEMPORARY TEL:052-249-3155
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