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“外見に自信がなかった”女性が、身体改造にハマった理由「人間として見られたくない」

「人間として見られたくない」理由

Mari Mari氏がここまで刺青をはじめとする身体改造に傾注するのには、こんな思いがある。 「この世界のどんな場所にいたとしても、人間でいる以上は“外見”によるヒエラルキーがありますよね。デブ、ブスという座標軸はもちろん、人種による差別もあるでしょうし、さまざまな目安で“下層”に押し込められる人が必ず存在する。私はこれまでずっと“下層”だった人間なので、『いっそのこと、人間として見られたくない』という気持ちになりました。ヒエラルキーの外に出たかったんです」  人間としてのカテゴリーから外れ、自由になる。そうすると不思議なことに、Mari氏は個として見られるようになったという。 「もちろん、現実には自分が40歳を過ぎた女性で、人間であることも理解していますよ。ただ、気持ちのうえでそうしたものから解き放たれたとき、人生がぐっと楽しくなったんですよね。  たとえば、これは身体改造とは無関係だと思いますが、私には性欲がありません。恋愛をしたいと思ったこともないんです。私にとって最も大切なのは自分を表現する活動です。それを理解してくれない人とは距離をおけるようにもなりました。我慢してその場所や人にしがみつくことがないから、気持ちを楽にして生きられるのだと思います」

働きながら「自分の好きなように身体改造した」からこそ

Mari 日本においては刺青をはじめとする身体改造に否定的な向きも多い。「親にもらった大事な身体をそんなふうにして」という声も根強い。だがMari氏は、会社勤めの立場から、こんな考え方もあるのではないかと明かしてくれた。 「確かに、褒められた行為ではないでしょうね。しかし、現代のストレスフルな社会で生きている人の多くは、会社に隷属しながら理不尽な仕打ちにも我慢して、身体を犠牲にしながら働いていますよね。それで飲みの席で多くのアルコールを摂取してくだを巻く……というパターンは珍しくない。社会で“まとも”と言われる社会人が、身体にいいことをしているわけでもないのは自明です。  働きながら自分の好きなように身体改造をして、ストレスに感じる原因を切り捨てて居心地のいい空間を開拓してきた私からすると、身体を粗末にしているかどうかは必ずしも“外見”ではわからないのではないかなと思うこともあるんです」
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かつての自分のように悩む人のヒントになれば
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ライター、エッセイスト。可視化されにくいマイノリティに寄り添い、活字化することをライフワークとする。『潮』『サンデー毎日』『週刊金曜日』などでも執筆中。Twitter:@kuroshimaaki

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