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広末涼子、約25年ぶりライブ決定も「あれは10代だったから歌えた歌」拭えない“不安要素”

「あれは10代だったから歌えた歌」

 そこでもう一つの問題が出てきます。そのヒット曲が、いずれも若い、もっと言えば幼い曲だということです。2019年の『テレ東音楽祭』で国分太一から「いまも自分の曲を歌う?」と聞かれた際に、広末自身が「絶対歌わないです」、「あれは10代だったから歌えた歌」と答えるシーンがあったのを覚えています。  もちろん時間や状況によって考えが変わることもあるでしょう。また演奏やサウンドをリアレンジして、40代の解釈による「MajiでKoiする5秒前」を作ることも不可能ではありません。  それでも一連のヒット曲は、鮮烈な10代の広末涼子のイメージのみと強烈に結びついてしまっています。  たとえば同じように一世を風靡したアイドル歌手に薬師丸ひろ子がいます。彼女のヒット曲は時の流れに耐えうる、どんな年齢の人も歌える深みがあります。 <さよならは別れの言葉じゃなくて 再び逢うまでの遠い約束>(「セーラー服と機関銃」 詞・来生えつこ)と、<子供じみた趣味だと あなたはからかうけど ふたりで写すプリクラは 何よりの宝物>(「MajiでKoiする5秒前」 詞・竹内まりや)とを隔てる距離はあまりにも大きい。  もちろん、これは作者の問題ではなく、時代や社会情勢が求めるスターの性質が異なるので作風も大きく変わってくるという意味です。

歌手活動復帰に否定的な声が多い理由は…

 いずれにせよ、広末も認めているように、彼女のヒット曲は消費期限はおろか、賞味期限もゆうに超えてしまっているのです。不倫とかけてネタ的にこすられてバズるのが関の山でしょう。  だから、カバー曲も交えたセットリストを考えているのだと思いますが、するとふたたび歌唱力の心配が頭をもたげる。自分の曲を上手に歌うよりも、他人の曲を独自の味付けで歌うほうが数倍難しいからです。  曲のチョイスにもよりますが、彼女の歌手のキャリアを考えると、久しぶりのライブでのカバーは相当に高いハードルなのではないでしょうか。  ゴシップによる拒否反応はもとより、広末涼子の歌手活動復帰に対して否定的な声が圧倒的に多いのは、キャリアを通じた音楽的な裏付けがなさすぎると感じているからなのだと思います。 文/石黒隆之
音楽批評の他、スポーツ、エンタメ、政治について執筆。『新潮』『ユリイカ』等に音楽評論を寄稿。『Number』等でスポーツ取材の経験もあり。Twitter: @TakayukiIshigu4
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