更新日:2024年09月14日 18:11
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「2004年に閉園したテーマパーク」現在は“心霊スポット”に… 創業者の想いは火事で焼失

火事により、ホテルが消失。心霊スポットとして有名に

その後は長らく廃墟状態になっていたが、2009年、思わぬ出来事が起きる。火事だ。 今でもこの火元は不明だというが、火事の発見が遅れたこともあって、ホテルはそのほとんどが焼けてしまった。本当に朽ち果ててしまったのだ。 火事は、マールイホテルを焼いただけでない。火は消えたが、思わぬ噂が消えずに広まっていった。その噂が、冒頭のエピソードである。つまり、「マールイホテルの地下には仏壇があり、それが火事で跡形も消えてなくなってしまってから、新潟ロシア村には幽霊が出る」というもの。 普通、この手の心霊スポットが広まるとき、その場所で事件や事故がある場合がほとんどだが、新潟ロシア村の場合、そうしたことは一切起こっていない。しかも、この仏壇というのも、結局あったかどうか定かではないのだ。しかし、今でも「新潟ロシア村」は心霊スポットとして有名で、特にYouTubeなどでも盛んに取り上げられている。 2021年には、YouTubeチャンネル「ゾゾゾ」が許可を得てこの場所で心霊探索のロケを行い、ホテルの地下に潜入している。その後も、いくつかのチャンネルがこの場所を探索している。

なぜ新潟にロシア? 仕掛け人の目論見は…

しかし、新潟にロシア、というのは唐突な気もする。 どうして、ロシア村をここに作る必要があったのか。それは、このテーマパークに30億円という多額の融資をした、新潟中央銀行の頭取・大森龍太郎氏が深く関係している。大森氏は、銀行員でありながら、深く実業界とも関わった人物であり、起業家のようにさまざまな事業構想を打ち出していった。 その中の一つが「環日本海経済圏構想」であり、日本海を取り囲んだ日本・朝鮮半島・中国・ロシアが一体となって協力し合いながら経済を回していこうとする目論見である。その一つとして、日本とソ連の友好関係を強化し、文化的、かつ経済的に協力していく「新潟ロシア村」構想を立てていた。きわめて経済的な理由から、パーク建設を夢見たのだ。 とはいえ、新潟中央銀行は一地方銀行にすぎない。その計画は理想的すぎた。新潟ロシア村は明らかな過剰融資だったのである(ちなみに同時期、大森氏は「富士ガリバー王国」「柏崎トルコ文化村」の2つのテーマパークにも同時に融資をしていた。完全なるキャパオーバーである)。 その後、大森氏は融資時の不正取引による特別背任罪を問われ、実刑判決を受ける。そして、新潟ロシア村と同じく、2004年に獄中で息を引き取ることになるのだ。
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大森氏が「新潟ロシア村」に抱いていたものは…
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ライター・作家。チェーンストアやテーマパークをテーマにした原稿を数多く執筆。一見平板に見える現代の都市空間について、独自の切り口で語る。「東洋経済オンライン」などで執筆中、文芸誌などにも多く寄稿をおこなう。著書に『ドンキにはなぜペンギンがいるのか』(集英社)『ブックオフから考える』(青弓社)
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