仕事

元東京国税局職員のライターが提言「30代後半でもフリーランスで成功する」方法

感銘を受けた本の著者に感想文を送った

小林義崇氏――「書く仕事」という将来像が明らかになったものの、一度は諦めていたわけですね。 小林:はい。自分らしい働き方を模索して、もがいていました。そんな折り、ビジネススクールへ行く途中にある書店に立ち寄ったとき、一冊の本と出会います。  それが『職業、ブックライター。毎月1冊10万字書く私の方法』(上阪徹著・講談社)で、インタビューを行い著者に代わって本を書く「ブックライター」という職業の存在を知りました。  もともと読書が好きで、閉鎖的な国税という組織に長く身を置き、「外の世界に触れたい」と願っていた僕には、非常に魅力的に映ったんです。それと同時に、この仕事なら自分にも合っているかもしれないと思いました。  この本には著者の上阪さんの仕事哲学やライフスタイルも書かれていて、すごく魅かれました。ネットで名前を検索するとFacebookをやられていたので、「著書を読んで感銘を受けました」と感想文を送ったんです。  すると返事が来て、ブックライターになるための準備を少しずつ進めてみては、とご提案をいただきました。さらに、本気でブックライターを目指す人向けのセミナーを始めるという計画もお聞きし、説明会に参加した後に申し込むことにしました。  こうして「上阪徹のブックライター塾」に入ったことで、フリーランスのライターやメディア関係者と知己を得ることができ、塾を卒業する頃には、「すぐにでもライター業を始めたい!」と思っていました。

家族や上司からの大反対を受け、フリーランスの道は困難を極め…

――実際、ブックライター塾を卒業後、フリーライターになったんですか? 小林:いいえ。実は、ブックライター塾を卒業してから独立するまで3年もかかってしまったんです……。  もっとも大きな要因は、公務員だったからです。副業が禁止なので、仕事が休みの週末にライターの仕事をすることもできません。独立する前に経験を積もうとしていた目論見は外れてしまいました。  それどころか、周囲からも大反対されてしまったんです。  ブックライター塾を卒業して2年目、妻に「ライターになりたい」と話すと、当然のように反対され、僕が長男ということもあり、母にも猛反対されました。  意を決して上司にも打ち明けたのですが、「職場で何かイヤなことでもあるの?」と聞かれてしまい、その場では上手く説明できなかったんです。人間関係にも恵まれ、仕事について特に不満もない。  さらに、上司からは「子どもが2人いるよね。私立中学に行きたいって言ったら、どうするの?」「気持ちはわかるけど、もう少し冷静になりなさい」と現実的なことを言われて、諭されました。  確かに、安定している公務員という仕事から、何の当てもないフリーランスになりたいなんて言われたら、今なら僕でも「どうかしてる」って言います(苦笑)。  これが転職なら、「収入は一時的に減るけれど、3年後には今と同じくらいに戻るから」と具体的に説明して、説得することもできますが、30歳すぎて収入の目途も立たないフリーランスになろうとしているわけですから何も言えない……。  ブックライター塾を卒業したはいいけれど、2年間、まったく動きが取れませんでした。内心、「もうムリかな」と諦め始めていました。 ――まさに四面楚歌だったわけですが、それでもフリーライターを目指した原動力は何だったのでしょうか? 小林:国税局は、仕事の性格上、公務員の中でも特に閉鎖的な組織です。だから、外の世界との接点がほとんどありません。  ただ、僕は異業種交流会やビジネススクールに通ううちに、外の世界と繋がりを持つことが勉強になることを実感していましたし、何より純粋に楽しかった。ライターという仕事は、多種多様な外の世界の人たちに取材するので、とても魅力的に映りました。
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ある編集長との出会いによって、フリーランスへの道は一気に好転!
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