元東京国税局職員のライターが提言「30代後半でもフリーランスで成功する」方法
東京国税局の国税専門官というお堅い仕事から、35歳でフリーランス・ライターへ転身すると、独立後わずか3年で『すみません、金利ってなんですか?』(サンマーク出版)が14万部のベストセラーに。
今や多くの書籍や署名記事を幅広く手がける売れっ子ライターの小林義崇氏が手がけた新著『新しいフリーランスの歩き方』が、話題となっている。
著者が失敗談を交えて明かす「食べていけるフリーランスに必要な生存戦略」は、仕事術やブランディングから、資金管理やメンタルの保ち方まで多岐に及ぶ。多様な働き方が求められる昨今、自分らしく働きたいと願う多くの人に役立つだろう。
今回、小林氏にフリーランスに転じて、売れっ子ライターになるまでの道程を聞いてみた。そこには、フリーランサーとして成功するためのヒントが、いくつも見えてきた。
――国税局を退職して独立したのは35歳のとき。奥さまと子ども2人がいて、住宅ローンを抱えていました。なかなかリスキーな選択にも思えますが、小林さんがそもそもフリーランスになろうと考えたきっかけは何だったのでしょう?
小林:大学新卒で国税局に就職したときは、定年までずっと勤めることを疑いもしませんでした。民間企業なら転職する人も珍しくないけれど、そもそも、そうした組織文化がない。
25歳で結婚し、子どもが生まれ、35年ローンでマンションを購入して……どこにでもいる勤め人として、平凡な暮らしを送っていたんです。
ただ、30歳を過ぎた頃、当たり前に組織のなかで働くことに何となく違和感を覚え始めていました。
そんなとき、東日本大震災が発生しました。震災当日は金曜日でしたが、週明けの月曜日、出勤しようと最寄り駅に行くと電車は終日運休。2つ先の駅から電車が動いていると聞き、ほかの多くのサラリーマンと同様に、僕も駅に向かって歩き始めました。
ところが、歩いているうちに、僕の心に抑えきれない思いが込み上げてきたんです。
「自分はいったい何をしているんだろう」――。
2つ先の駅に行ったところで、電車にすぐ乗れそうもない。長時間かけて職場に着いたところで、働く時間は限られる。それに、急ぎの仕事を抱えているわけでもない。
一方で、当時は次男が生まれたばかり。未曾有の震災を前に不安の只中にいる家族と一緒にいて、安心させるべきだろう。そう考えて、上司に休むことを連絡すると、僕は踵を返して、駅に向かうサラリーマンの大群衆に逆らって自宅に向かいました。
すれ違いざま、多くの人と目が合ったのを、今でもよく憶えています。
あの日、僕の中に生まれた「感覚」、震災で改めて痛感した「人生は一度きりで、有限である」という「自覚」。この2つの心の動きによって、自分の働き方を見つめ直すようになったんです。
――震災は多くの人の人生に少なからず影響を与えましたが、小林さんもその一人だったわけですね。フリーランスになるために、すぐに行動したのでしょうか?
小林:この時点では、フリーランスを目指そう!とまでは、具体的に考えていません。当初は独立ではなく、転職のためにアクションを起こしたんです。当時、世の中では「働き方や生き方を考え直そう」という風潮がありました。
――小林さんは、具体的にはどのような動きをしたのでしょうか?
小林:国税局の仕事を続けながら、週末に異業種交流会やビジネスプランを考えるイベントなどに参加して、組織の外との接点を増やしていったんです。おぼろげながら転職を意識して、ビジネススクールにも通うようになりました。
そのスクールのコンセプトは、ビジネスを教わる前に、まず「自分が何をしたいのか」をきちんと考えるというものでした。そのために、過去の自分を振り返って整理するワークショップを行うんです。
そこで、もともと本を読むのが好きで、小説家に憧れていたことを思い起こすのですが、小説家になっている自分がどうしてもイメージできない……。
というのも、僕は大学の奨学金という借金を背負い、妻と子ども2人がいて、住宅ローンも抱えていました。そんな自分が小説家として食べていくのはあまりにも難しいことは、容易に想像がつきました。
東日本大震災が、働き方を見つめ直すきっかけに……
まずは転職のためのアクションを起こした
『新しいフリーランスの歩き方』 「やりたいこと」で生きる時代の 新ビジネス教義 |
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