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元東京国税局職員のライターが提言「30代後半でもフリーランスで成功する」方法

ある編集長との出会いによって、フリーランスへの道は一気に好転!

小林義崇氏――現在は念願のフリーライターとなり、売れっ子として活躍しています。当時の困難な状況をどう突破したんですか? 小林:ライター塾を卒業して3年目、ようやく物事が動き始めます。  あるメディアの編集長が登壇するイベントに参加した僕は、名刺交換のときにライターを目指していることを伝えました。  そのイベントの感想を自分のブログの記事にまとめて、お礼がてら編集長のSNSに送ると、「一度、オフィスに遊びに来ませんか?」と誘ってくれたんです。そしてオフィスでお会いしたその日に、「ウチで書いてみませんか?」と言ってくれました。  その会社は、企業や官公庁の取材記事を多く手がけていたので、公務員という僕のバックグラウンドを買ってくれたのかもしれません。初めてライターとしての仕事をオファーされたので嬉しかったですね。でも、公務員は副業禁止。  そのことを正直に話すと、報酬が発生しないボランティアの形で、取材に同行させてもらったり、記事を書かせてもらったりするようになったんです。  ライターの仕事を一通り経験させてもらい、仕事の流れを把握できたのもよかったですが、何よりありがたかったのは、プロの編集者が原稿に赤字を入れて(添削して)くれたことでした。  プロの視点でフィードバックをもらい、原稿を修正する作業を重ねていくことで、ライティングスキルが上がっていくのを実感できたんです。

自信がつくと事態は面白いほど好転する

――状況が一気に好転したわけですね。 小林:もう一つ、大きかったのは、この経験でライターとして食べていけるかもしれない感触を得たことです。この会社は、ライターの能力に応じて報酬が段階的に変わる、業界的にも珍しい方式を取っていました。  僕の場合、当初はトライアルということで「1記事6000円」でしたが、経験を積んでランクが上がり、「1記事2万7000円」まで評価が上がりました。  プロがライターとしての自分を高く評価してくれたわけですから、大きな自信になりました。また、自信がつくと、一度は諦めかけていたのに、事態は面白いように好転していくものなんですね。  ある程度、収入の目途がついたことを妻に伝えると、安心してくれたようで、徐々にではあるけれど応援してくれるようになりました。  職場でも、人事異動で広島から来た新しい上司に、改めてライターになりたいことを打ち明けると、土地柄からか豪快な上司は「そら、ええなぁ! ワシも若かったら独立したかったよ」と冗談っぽく言ってくれたんです。 フリーランスを目指す人にとって、最初のハードルは独立すること自体。僕の場合、ボランティアの形でしたが、独立前に副業として目指す仕事を経験しておくことは間違いなく役に立ちます。 小林義崇(こばやし・よしたか) 2004年に東京国税局の国税専門官として採用され、以後、都内の税務署、東京国税局、東京国税不服審判所において、相続税の調査や所得税の確定申告対応、不服審査業務等に従事。2017年7月、東京国税局を辞職し、フリーライターに転身。書籍や雑誌、ウェブメディアを中心とする精力的な執筆活動に加え、お金に関するセミナーを行っている。『僕らを守るお金の教室』(サンマーク出版刊)、『元国税専門官がこっそり教える あなたの隣の億万長者』(ダイヤモンド社刊)ほか著書多数。公式ホームページ <取材・文/齊藤武宏  撮影/山田耕司(扶桑社)>
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