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フィリピン・スラム街の日本人“ネオギャル校長”が明かす、パリピ生活から“寺子屋”を作るまでの紆余曲折

青い海に白い砂浜、フィリピンで人気の観光地として知られるセブ島。しかし、そんなリゾート地の陰には、経済格差や貧困などの深刻な社会課題が見え隠れしている。 じつはセブ島にはスラム街が多数存在しており、路上で物乞いや物売りをするストリートチルドレンが目立つ。誘拐や人身売買などの犯罪も頻発している。 こうしたなか、スラム街などで恵まれない子どもたちの居場所や学びの場を提供する寺子屋「Anya’s HOME」を運営しているのがNGO Anya’s HOME INC.代表のAnya(あにゃ)さん。
ネオギャル校長

NGO Anya’s HOME INC.代表 /“ネオギャル校長”のAnya(あにゃ)さん

その見た目から“ネオギャル校長”と呼ばれているが、小さい頃から「将来は孤児院を建てる」という目標に向かって前に進んできた女性である。 セブ島のスラム街でNGO活動を行っている背景や、その原動力になっている想いについてAnyaさんに話を聞いた。

テレビを見て衝撃!小学5年生で知った「世界の現実」

フィリピンAnyaさんの今の活動は、小学校5年生のときにテレビ番組「世界がもし100人の村だったら」を見たのが原点になっているという。 世界には食べ物が手に入らずに、ごみを拾いながら生活している子どもたちがいる。 このような現実を知り、強い衝撃を受けたAnyaさんは、不公平な世の中を変えるために「孤児院を建てる」ことを胸に誓った。 「小学校から中学校までずっと給食があったんですが、9年間で一度も『給食が足りない』」と思ったことはなくて。もちろん、幼少期には誰にでも好き嫌いがありますし、私は自分が好きなものを、あまり食べなさそうな子たちからもらって、その代わりに自分の嫌いな給食をあげていました。そんな“トレード”を自然としていたんですが、食べものの交換みたいなことが、広い意味での助け合いや支え合いにつながるのではと、当時は漠然と考えていましたね」(Anyaさん、以下同) 孤児院を建てたいと思うようになってからは、お小遣いを募金したり、国境なき医師団やユニセフといったNGO団体に寄付したりしていたという。しかし、その頃はスマホもSNSもなく、「自分の募金がどんな子たちに届いているのか、どの国にいっているのかが全く見えない状態で、支援している実感が持てなかった」と、もどかしさを感じていたそうだ。 そのため現在の活動では、メルマガのように一方的な情報発信よりも、SNSを通して「目で見てもわかる形」で活動報告するように心がけているのだとか。 「SNSは受け取る人が見たいときに見ることができるし、見たくなければスルーできる自由さがあります。このSNSの仕組みはすごく時代にも自分の考え方にも合っていて、本当に助かっています」

カナダでのホームステイと家庭環境が育てたチャリティー精神

寺子屋

寺子屋「Anya’s HOME」のインスタグラムより(@ngo_anyas_home_philippines)

そんなAnyaさんだが、小学生時代に何度かカナダへホームステイに行く機会があり、「日本とは異なる教育環境に触れたことが、すごく大きな経験になっている」と話す。 「今思えば、日本の学校や社会のシステムが、当時の自分にはちょっと合わなかったのかもしれません。カナダでは『チャリティーする文化』が身近にあったのに対し、その頃の日本にはそういった文化がまだ根付いていなくて、子どもながらにその差を感じていました」 このような価値観に出会えた背景には、「家庭環境も大きく関係している」と佐々さんは付け加える。 「私の祖父は、近所の子どもたちを自家用の観光バスでいろいろな場所へ連れて行ったり、パン屋さんでたくさんのパンを買っては、ホームレスの方に配りに行ったりしていたんです。また、祖父家ではたくさんの動物を飼っていて、保護活動のようなこともしていました。こうした自然と誰かに手を差し伸べる姿勢や優しさを幼い頃から見ていたのもチャリティーに関心を持ったきっかけだと思っています」
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「毎日が“パリピ生活”だった」ギャル時代のクレイジーライフ
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1986年生まれ。立教大卒。ビジネス、旅行、イベント、カルチャーなど興味関心の湧く分野を中心に執筆活動を行う。社会のA面B面、メジャーからアンダーまで足を運び、現場で知ることを大切にしている

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