「生まれてこなきゃよかった」フィリピン人ハーフの“無国籍女性”が辿った苦しい半生と「日本人男性の悪行」
国籍がない、日本人のお父さんに会えない――。フィリピンパブが流行したバブル期から2000年初頭まで、多くのフィリピン人ハーフの子どもが生まれた。彼らはJFC(=ジャパニーズ・フィリピノ・チルドレン)と呼ばれる。
「いまも無国籍状態なんです。ずっと生まれてこなきゃよかったと思っています。こんな苦労してまで、なんでこんな母に、こんな両親に生まれてきたんだろうって」
絶対にバレたくない。そんな願いから電話で非対面の取材だった。フィリピン人の母と日本人の父のもとに生まれた野崎愛菜さん(仮名・35歳)。夫と息子の3人で千葉県に暮らしている。野崎さんは声を絞り出すように語る。
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国連の関連組織である国際移住機関(IOM)によると、JFCはフィリピンと日本両国で10万~20万人いると推定されている。その大半は父親が日本人、母親がフィリピン人。幸せな家庭を築く家族がいる一方で、出生の背景には経済格差や人権問題があり、子どもたちが大人に成長した今でも厳しい境遇を強いられているという。
「無国籍だから。生まれてこなければよかった」
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「日本のスナックで働いていた母が、お客さんとして店に来ていた父と出会い、付き合ったと聞いています。のちに、私が生まれるのですが、結婚はしませんでした。理由は、母がオーバーステイをしていたのと、父が浮気症で、お互いしっかりしていなかったから。私の日本の出生届も、フィリピンへの出生証明書も、どちらも出されなかった」
父、母、弟との4人で暮らしていたが、野崎さんが4歳の時、父と母が別れてしまい、母子家庭になった。家でほったらかしにされるような生活で、市役所の人が家に訪問する8歳のときまで、学校にも行けなかった。小学3年生から学校に通うようになったものの、小学校卒業を控えたある日、自宅にガサ入れが入った。
「『オーバーステイだから出頭しなさい』と4人くらいの職員が家に押しかけてきました。何が起きたかわからないまま、入国管理局に連れて行かれて『お母さんだけじゃなくあなたも(オーバーステイ)なのよ』って言われて。そこからいろいろ疑問が生まれて、やっと気づきました。自分が無国籍だったということを」
それから1〜2年、千葉県から東京出入国在留管理局(東京都港区)へ月一回ほど通うことになる。中学校にはまともに通える状況になかったと野崎さんは話す。
入管に連れて行かれて無国籍が発覚
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