ポツダム、カイロ宣言の内容を知らない日本人【孫崎享×田中康夫】Vol.2
尖閣諸島をめぐる中国の反日運動はおさまらず、一向に出口が見えない。一体どうすればこの問題は解決できるのだろうか? その方法を探るべく、新党日本代表・田中康夫衆院議員が、国際情勢の裏事情に精通する孫崎享氏を直撃!!
⇒Vol.1『尖閣問題、政財界は中長期的ビジョンに立った対応をせよ!』
https://nikkan-spa.jp/313549 ◆ポツダム、カイロ宣言の内容を知らない日本人 孫崎:この間の領土紛争で、尖閣が日本の“固有の領土”ではなく、“係争地”であることが明るみに出てしまいました。これは、領土問題の基礎を押さえていれば誰でもわかることなんですよ。領土問題の基礎とは、戦後日本の出発点であるポツダム宣言(※1)の第8条です。そこには「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国に限定される」、そして「その他の主権の及ぶ島々は連合国が決める」と書いてある。そうすると、本州、北海道、九州、四国はたしかに“固有の領土”と呼べるのですが、その他の島々に関しては、“固有の領土”という理屈が成り立たないんです。「ポツダム宣言の受諾そのものを認めない」という極端な人は別にして。 田中:実は歴代の自民党政権から共産党に至るまで、この宣言の持つ意味を把握していなかったわけですよね。戦後70年近くたった今、中国から突きつけられて初めて把握することになった。 孫崎:ある高校の先生から聞いたのですが、ポツダム宣言の第8条は日本の教科書にも書かれていないそうです。 田中:ここが極めて悩ましい点ですが、ポツダム宣言第8条には「カイロ宣言(※2)の条項は履行すべき」とも書かれている。 孫崎:その「カイロ宣言の条項」とは、「日本が中国人から奪った地域は中華民国に返還する」というものです。日本政府は、「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか」と言いますが、中国のほうでは「日本が奪い取った地域だ」と主張しています。そこまで立ち戻ってみてみると、国際的には尖閣諸島は“係争地”ということになるんです。 田中:尖閣問題は「国際司法裁判所(ICJ)(※3)に提訴すれば勝てる」と多くの日本人が思ってきました。ところが不覚にも、中国からポツダム宣言やカイロ宣言を突きつけられて、根底から崩れかねない大変な危機に陥っている。もしも外務省が基本中の基本であるこれらの宣言の意味を把握していなかったとすれば、そもそも日本という国は国家たりえてなかった、ってこと。ポツダム宣言を知らなかった国民や「日本よ国家たれ」と叫ぶ「愛国者」が悪いのではなくて、教科書にも載せず国民に知らせず、ろくに調べもしなかった日本政府にこそ責任があります。 孫崎:政府は「中国が領有権を主張し出したのは尖閣に石油資源があることがわかった’70年代以降のことだ」という見方を広めていますが、これは事実と違います。すでに’50年代の初め、周恩来が「日本との講和はポツダム宣言とカイロ宣言を基礎とすべきだ」と発言しているんですね。「中国はまったく主張してこなかった」とは言い切れないんです。 田中:野田首相はロジカルに中国に勝てる準備もせぬまま、浮揚するはずもない政権浮揚の一念で国有化に踏み込んでしまった。中国はポツダム宣言やカイロ宣言を十分に把握しながらも、日本との経済関係や地下資源の共同開発などの国益を考えて、したたかに今まで黙っていたともいえる。 孫崎:まずは尖閣が“係争地”であることを認識しないと、この問題は解決しないでしょう。「日本が絶対的に正しい。固有の領土だ」との主張を感情的に押し通したところで、相手にも相手なりの理屈があるわけですから。これまでの日中関係は、尖閣問題を棚上げにすることでうまくやってきたんですよ。これは、中国では周恩来や鄧小平、日本では田中角栄や園田直といった人たちが編み出した「紛争を避けるための知恵」です。’79年の『読売新聞』社説すら「触れないでおこう方式」と肯定的に呼んでいますが、日中双方が領有権を主張しながら、この問題を決して紛争にせず、将来の解決を待つことで了解ができていたんです。このやり方がいちばん日本の国益にかなっていました。 ⇒Vol.3『中国が攻めてきても米国が動かない理由とは?』
https://nikkan-spa.jp/313551 ※1:ポツダム宣言 第二次世界大戦中の’45年7月26日、米英中の首脳が共同で出した日本に対する降伏勧告(のちにソ連も参加)。日本はこの宣言を受諾して降伏した。将来の日本領土に言及しているのは第8条で、その全文は「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」。日本国の主権は本州、北海道、九州、四国と、連合国が決定するその他の島々に限られると謳っている。 ※2:カイロ宣言 米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中国の蒋介石主席によって’43年12月1日に発表された連合国の対日基本方針。第一次世界大戦以降に日本が獲得した太平洋の島々の剝奪、中国から奪った一切の地域の返還(満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト)、朝鮮の独立などをその内容とする。 ※3:国際司法裁判所 オランダのハーグにある国連の主要司法機関で、国家間の紛争を裁判する。日本は北方領土や竹島問題に関してICJへの付託を提案しているが、いずれも相手国に拒否されて実現していない。尖閣問題に関しては「領土問題は存在しない」という立場を取っているので、付託するつもりはない。 【田中康夫氏】 ’56年生まれ。衆議院議員、新党日本代表、作家。長野県知事、参議院議員などを歴任。著書に『田中康夫主義』(ダイヤモンド社)など。www.nippon-dream.com/ 【孫崎 享氏】 ’43年生まれ。’66年に外務省に入省、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授などを歴任。著書に『戦後史の正体』(創元社)など ― 国益を最大化する[尖閣問題]の対処法【2】 ―
https://nikkan-spa.jp/313549 ◆ポツダム、カイロ宣言の内容を知らない日本人 孫崎:この間の領土紛争で、尖閣が日本の“固有の領土”ではなく、“係争地”であることが明るみに出てしまいました。これは、領土問題の基礎を押さえていれば誰でもわかることなんですよ。領土問題の基礎とは、戦後日本の出発点であるポツダム宣言(※1)の第8条です。そこには「日本国の主権は本州、北海道、九州、四国に限定される」、そして「その他の主権の及ぶ島々は連合国が決める」と書いてある。そうすると、本州、北海道、九州、四国はたしかに“固有の領土”と呼べるのですが、その他の島々に関しては、“固有の領土”という理屈が成り立たないんです。「ポツダム宣言の受諾そのものを認めない」という極端な人は別にして。 田中:実は歴代の自民党政権から共産党に至るまで、この宣言の持つ意味を把握していなかったわけですよね。戦後70年近くたった今、中国から突きつけられて初めて把握することになった。 孫崎:ある高校の先生から聞いたのですが、ポツダム宣言の第8条は日本の教科書にも書かれていないそうです。 田中:ここが極めて悩ましい点ですが、ポツダム宣言第8条には「カイロ宣言(※2)の条項は履行すべき」とも書かれている。 孫崎:その「カイロ宣言の条項」とは、「日本が中国人から奪った地域は中華民国に返還する」というものです。日本政府は、「尖閣諸島が日本固有の領土であることは歴史的にも国際法上も明らか」と言いますが、中国のほうでは「日本が奪い取った地域だ」と主張しています。そこまで立ち戻ってみてみると、国際的には尖閣諸島は“係争地”ということになるんです。 田中:尖閣問題は「国際司法裁判所(ICJ)(※3)に提訴すれば勝てる」と多くの日本人が思ってきました。ところが不覚にも、中国からポツダム宣言やカイロ宣言を突きつけられて、根底から崩れかねない大変な危機に陥っている。もしも外務省が基本中の基本であるこれらの宣言の意味を把握していなかったとすれば、そもそも日本という国は国家たりえてなかった、ってこと。ポツダム宣言を知らなかった国民や「日本よ国家たれ」と叫ぶ「愛国者」が悪いのではなくて、教科書にも載せず国民に知らせず、ろくに調べもしなかった日本政府にこそ責任があります。 孫崎:政府は「中国が領有権を主張し出したのは尖閣に石油資源があることがわかった’70年代以降のことだ」という見方を広めていますが、これは事実と違います。すでに’50年代の初め、周恩来が「日本との講和はポツダム宣言とカイロ宣言を基礎とすべきだ」と発言しているんですね。「中国はまったく主張してこなかった」とは言い切れないんです。 田中:野田首相はロジカルに中国に勝てる準備もせぬまま、浮揚するはずもない政権浮揚の一念で国有化に踏み込んでしまった。中国はポツダム宣言やカイロ宣言を十分に把握しながらも、日本との経済関係や地下資源の共同開発などの国益を考えて、したたかに今まで黙っていたともいえる。 孫崎:まずは尖閣が“係争地”であることを認識しないと、この問題は解決しないでしょう。「日本が絶対的に正しい。固有の領土だ」との主張を感情的に押し通したところで、相手にも相手なりの理屈があるわけですから。これまでの日中関係は、尖閣問題を棚上げにすることでうまくやってきたんですよ。これは、中国では周恩来や鄧小平、日本では田中角栄や園田直といった人たちが編み出した「紛争を避けるための知恵」です。’79年の『読売新聞』社説すら「触れないでおこう方式」と肯定的に呼んでいますが、日中双方が領有権を主張しながら、この問題を決して紛争にせず、将来の解決を待つことで了解ができていたんです。このやり方がいちばん日本の国益にかなっていました。 ⇒Vol.3『中国が攻めてきても米国が動かない理由とは?』
https://nikkan-spa.jp/313551 ※1:ポツダム宣言 第二次世界大戦中の’45年7月26日、米英中の首脳が共同で出した日本に対する降伏勧告(のちにソ連も参加)。日本はこの宣言を受諾して降伏した。将来の日本領土に言及しているのは第8条で、その全文は「『カイロ』宣言ノ条項ハ履行セラルヘク又日本国ノ主権ハ本州、北海道、九州及四国並ニ吾等ノ決定スル諸小島ニ局限セラルヘシ」。日本国の主権は本州、北海道、九州、四国と、連合国が決定するその他の島々に限られると謳っている。 ※2:カイロ宣言 米国のルーズベルト大統領、英国のチャーチル首相、中国の蒋介石主席によって’43年12月1日に発表された連合国の対日基本方針。第一次世界大戦以降に日本が獲得した太平洋の島々の剝奪、中国から奪った一切の地域の返還(満洲、台湾及澎湖島ノ如キ日本国カ清国人ヨリ盗取シタル一切ノ地域ヲ中華民国ニ返還スルコト)、朝鮮の独立などをその内容とする。 ※3:国際司法裁判所 オランダのハーグにある国連の主要司法機関で、国家間の紛争を裁判する。日本は北方領土や竹島問題に関してICJへの付託を提案しているが、いずれも相手国に拒否されて実現していない。尖閣問題に関しては「領土問題は存在しない」という立場を取っているので、付託するつもりはない。 【田中康夫氏】 ’56年生まれ。衆議院議員、新党日本代表、作家。長野県知事、参議院議員などを歴任。著書に『田中康夫主義』(ダイヤモンド社)など。www.nippon-dream.com/ 【孫崎 享氏】 ’43年生まれ。’66年に外務省に入省、駐ウズベキスタン大使、国際情報局長、駐イラン大使、防衛大教授などを歴任。著書に『戦後史の正体』(創元社)など ― 国益を最大化する[尖閣問題]の対処法【2】 ―
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