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民主党に貼られた「ウソつき」というレッテル 落選議員が語る【民主党崩壊】の理由Vol.2

飯田泰之

飯田泰之氏「民主党は、次第に悪い意味で民主党っぽく、悪い意味で自民党っぽくなっていった」

 民主党政権はなぜ崩壊してしまったのか? エコノミスト・飯田泰之氏と評論家・荻上チキ氏が、民主党前衆議院議員の3名と鼎談を行なった。 参加してくださったのは、先の衆院選で残念ながら議席を失った池田元久氏、田中美絵子氏、宮崎タケシ氏。週刊SPA!2/5・12合併号「週刊チキーーダ!」では紹介しきれなかった、“ほぼ全文”をここに掲載しよう。 ⇒Vol.1『選挙が終わると届く請求書の数々』 https://nikkan-spa.jp/382103 飯田:外から見ての印象ですが、鳩山内閣っていい意味でも悪い意味でも“非自民”と言って良いかなと。菅内閣も発足時点はいかにも、いいところも悪いところも民主党。しかし、東日本大震災の対応でゴタつき、その後の野田内閣になるに従い、悪い意味で民主党っぽく、悪い意味で自民党っぽくなっていった気がします。それが支持率の低迷に結びついたのではないかと。2009年の政権交代の高揚感がどのあたりから薄れ、変わっていったのでしょうか。 池田:いや、僕は、飯田さんのその意見には同意できませんね。正直言えば、「蓋を開けてみたら失望感」というのが私の思いですよ。最初から政権運営もよくなかった。幹事長だった小沢一郎さんが予算編成を仕切って、藤井裕久さんが財務相を辞めてしまった。もとより、そういう政権だった。リーダーシップは最初からなかったんですよ。
宮崎タケシ

宮崎タケシ氏「政治主導を掲げながら、結局、挫折し、官僚依存を増していったんです」

宮崎:私自身は鳩山政権でも菅政権でも、野田政権でも、ずっと反主流派(笑)。だからこそ見えたことがあります。政権交代を果たし鳩山政権が成立したわけですが、そのときに政権運営に非常に苦しんだわけです。とにかく内閣がまとまらない。内部でゴタゴタも起こる。マスコミには叩かれる、と。今から考えれば、そのときのバッシングなど叩かれたうちに入らないくらいなんだけれども、ガンガン言われて臆した。その理由のひとつは、「脱官僚」を進めようとしたことにあります。  官僚政治といいますが、自民党政権では、官僚が“全部やる”わけです。“全部やる”というのは役所の中のことだけでなく、政治家間の意見調整に利害が相反する業界間の橋渡しまで、政府全体の取り回しを官僚が“全部やる”ということなんです。  民主党政権になり、「政治主導」を掲げてそれらをすべて取っ払った途端に、政治運営が機能しなくなった。大臣がまったく違うことを発言するといった状況が起こったのもそのためです。  その混乱を克服し、なんとか官僚との間で一定の距離感と緊張感を保ってということができたのかもしれませんが挫折した。野田政権へと後にいくに従い、官僚への依存度を増していきました。  もう1点、外部的な環境としては、参院で敗北してねじれがおきたというのが大きかったですね。ねじれ国会を解消するために、執行部がとったのは、自民との融和路線でした。自民党との間で作った合意を元に進めていこうという戦略です。  その流れの中で、合意の障害になるものはある意味、切りすてても仕方がないという考えから、小沢さんたちを排除する方向にいったのではないかと僕は見ています。  消費増税にしても、急に民主党から出てきたのは、自民党が消費増税を言っているから、それに乗っかることによって、こちらの掲げる他の政策を実現していくんだというところがあった。  僕自身はそんなことはできっこないと思っていましたが、こうした方法論で、小沢切りのようなことがあって、純化して純化して大連立みたいなところにいってしまった。
田中美絵子

田中美絵子氏「『ウソつき』というレッテルは、最後の最後まで続きました」

田中:初めて政権を担当させてもらって、非常に不慣れな部分があったと思います。しかし同時に、鳩山政権の頃は、有権者の中にも「初めてだから」という寛容さと、自民党のこれまでの負の遺産を民主党が処理しているんだ、尻拭いをしているんだという理解があると感じていました。  しかし、流れが変わったなって肌で感じたのは、やはり2010年夏の参議院選挙です。石川県に菅さんが応援に来てくださって、そこで、「消費税について議論を始めたい」っておっしゃったんです。その場は、凍りつきました。結果、参議院選挙は大敗したわけですが、あのときから風当たりが強くなってきたなっていうのが、地元を回っていても感じました。  街頭でいちばん言われた言葉って、「ウソつき」なんです。鳩山さんは「4年間、消費税を上げない」と言ったのに、「上げる」と言ったことに対して、ウソをついた、と。その「ウソつき」というレッテルは、最後の最後まで続きました。
池田元久

池田元久氏「官僚と対峙するだけの統治能力、思慮、実力がなかった」

池田:そりゃそうですよ。私はまだ、この4年間の総括を訥々と考えている途中ですが、結局ですね、民主党は非常に純粋な政党であり、言ったことをやる政党だという期待が強かった。しかし、現実はそうではなかったということです。  典型的な例は、国会でも問題になった「個所付け」の漏洩ですよ。公共事業の配分予算をどこにどうつけるのかを決める情報を党県連に伝え、一部の地方自治体に知らせていた。  これはもう典型的な利益誘導政治ですよ。政権交代しても結局、自民党と同じ、古い土建政治ではないかという印象を与えてしまった。これは大きなマイナスです。  加えて、統治能力の欠如。思慮のなさと実力のなさ。官僚と対峙するには、それなりの見識がないとできないですよ。 荻上:宮崎さんがおっしゃったように、官僚は立案だけではなくて、ネゴシエーターも担っている。民主党は政権をとる前から、ネクストキャビネットを組織し、ある種、「プランニングのプロ」であるということを謳おうとしていたわけですよね。しかし、実行に移すときのネゴシエーションの機能がなかった。そのため、小沢さんのように、ひとまずネゴシエーションの部分を担える人の存在感を延命させてしまったとも言える。そのシナリオを反省するならば、具体的に、このネゴシエーション能力を、どう培えばいいのでしょう。 池田:私は経産副大臣になり、2011年度税制改正で大問題となっていた法人税率の引き下げ5%を成し遂げました。実際、経験して思うのは、先を見通す能力があればできるんですよ。文武両道といいますが、政策を磨くこと、それを交渉-国会対策等で実現すること。そのふたつが政治家の仕事なんですよ。 ⇒Vol.3『“印籠”と化していた「マニフェスト」』に続く https://nikkan-spa.jp/382179 【池田元久氏】 1940年、神奈川県生まれ。NHK政治部記者を経て、1990年の衆院総選挙で、始めは無所属、途中より日本社会党公認として出馬し初当選。1993年に僅差で落選。社民党を離党し、1996年、民主党の結党に参加する。1998年の金融国会を主導。菅内閣では財務副大臣、経済産業副大臣を務める。民主党デフレ脱却議連会長。http://www2u.biglobe.ne.jp/~IKEDA/ 【宮崎タケシ氏】 1970年、前橋市生まれ。上毛新聞記者を経て、2009年の衆院選で群馬1区で初当選。デフレ脱却議員連盟事務局などの役職を務めた。ライトノベル作者というもうひとつの顔も(ペンネーム鷲田旌刀)http://www.miyazakitakeshi.jp/ 【田中美絵子氏】 1975年、金沢市生まれ。会社員、添乗員、議員秘書などを経て、2009年衆院選で、「小沢ガールズ」として石川2区より出馬。小選挙区では落選するも比例で復活当選。先の選挙では東京15区へ国替えし出馬するも落選。http://www.tanakamieko.jp/ <構成/鈴木靖子 撮影/山川修一>
週刊SPA!2/5・12合併号(1/29発売)

表紙の人/SKE48

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