更新日:2016年04月11日 18:30
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岩手県宮古市田老地区の「学ぶ防災」が語り継ぐもの

【週刊SPA!連載】 ★週刊チキーーダ! 飯田泰之・荻上チキのヤバい研究報告書 ~「学ぶ防災」が語り継ぐもの 岩手県宮古市田老地区~  宮古市田老地区は明治と昭和初期に2度の大きな地震津波を経験。その教訓から、総延長約2.5km、高さ10mにも及ぶ防潮堤を建設。が、東日本大震災では死者・行方不明者数181人、約730棟の建物全壊という被害を被った。 宮古市 なぜ、「万里の長城」とまで呼ばれた堤は町を守りきれなかったのか? 宮古観光文化交流協会が実施している「学ぶ防災」ツアーに、チキーーダ!のふたりが参加した。 ⇒【画像】はコチラ https://nikkan-spa.jp/?attachment_id=680064  この日のガイドは、澤口強さん。防潮堤の上から、当時の様子、被害状況の説明を受ける。が、何より驚かされたのは、この地区の防災意識の高さだ。  防潮堤だけではない。防潮堤の内側は碁盤状で、十字路は避難時の見通しをよくするために「隅切り」が設けられた。さらに地域各所に山へ登る避難道が整備され、避難階段にはソーラーパネルを設置。ハード面だけではなく、防災教育も充実し、避難経路等の周知も徹底していたという。だからこそ、強まる「なぜ?」という疑問。 「最初の地震で停電になったんです。大津波警報は伝わらず、テレビも防災無線も使えなくなりました。当初3mの津波と伝えられましたので、『防潮堤があるから大丈夫』と一旦、避難したものの自宅に戻ってしまった人もいました。防潮堤への過信もありましたし、防潮堤で押し寄せる津波が見えなかったのもあります」(澤口さん)  しかし、その一方で、防潮堤が避難する時間を稼いでくれ、また、引き波による家屋の流出を防いでくれたという面もあるという。 「第一波の後に『このくらいなら大丈夫』と戻ってしまったという話は、各地で聞く。津波の規模、状況への過小評価が被害を拡大させるというのは確実にある」(飯田) 「単純にゼロかイチかで、その良しあしは語れない。防潮堤の役割を批判するのでもなく、過信するのでもなく、それと併せて、さらに『何が必要なのか』が強調されるのが必要だね」(荻上) 宮古市 その後、「たろう観光ホテル」を外から見学し、市の事務所へ移動。「たろう観光ホテル」社長撮影のビデオを見る。水柱が上がり、陸へと迫り防潮堤を破壊する津波。先ほどまでそこに立っていただけに、その威力を思い知らされる。 「学ぶ防災」のスタートは、2012年4月。参加者は累計5万5000人に上り、年々増加中。当初4人だったガイドも2人増員されたという。  約1時間の中で、澤口さんが繰り返し口にしたのは、「逃げる気持ちがなければ、助かるものも助からない」という言葉。大切に持ち帰りたい「土産」となる一言だ。 ⇒【後編】に続く https://nikkan-spa.jp/677710 【宮古観光文化交流協会「学ぶ防災」】 「万里の長城」と言われた防潮堤で、ガイドから被災状況の解説を受け、その後、津波が押し寄せる瞬間のDVD(マスコミ非公開)を上映。所要時間30~60分。1グループに1人のガイドがついて、質問に答えながら案内してくれる。料金は「復興支援協力金」としてガイド1人に4000円。住民が“あの日”歩いた避難道を辿る2時間コースも(料金1万円)。(問)宮古観光文化交流協会 電:0193-77-3305 宮古市【飯田泰之】 ’75年生まれ。エコノミスト。明治大学政治経済学部准教授。「初夏は東北観光のベストシーズン! 実地調査のために高田に釣りに行きたいなぁ」 【荻上チキ】 ’81年生まれ。評論家・編集者。『シノドス』編集長。「W杯のおかげで眠れない日々が続いておりましたが、ようやく眠れる時期に。今度の敵は熱帯夜」 <取材コーディネイト/土方剛史> ※「週刊チキーーダ!」は週刊SPA!にて好評連載中
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