“聖地”後楽園ホールが聖地でありつづける理由――「フミ斎藤のプロレス講座」第14回
―[フミ斎藤のプロレス講座]―
日本でいちばんポピュラーなプロレスの試合会場は、だれがなんといおうと東京・水道橋の後楽園ホールである。JR総武線の水道橋駅・西口から東京ドームにつながる橋を渡り、東京ドームシティ・コンプレックス内の“黄色いビル”のよこを通り、東京ドームにつながる広場の手前にある階段を降りてすぐ左側の後楽園ホールビル(旧“青いビル”)の5階にある後楽園ホールではプロレスの興行が年間180~200大会おこなわれている。
後楽園ホールで今月開催されるプロレスの興行、13団体15公演のスケジュールは下記のとおりだ。すでに日程が終了しているところでは、11月3日(月=祝)にスターダム(昼の部)とKAIENTAI-DOJO(夜の部)、11月4日(火)にプロレスリング・ノア、11月6日(木)ドラゴンゲートの興行がそれぞれおこなわれた。これ以外にはプロボクシング10興行、キックボクシング&プロ格闘技6興行が予定されている。
11月8日(土)プロレスリング・ノア(午後6時30分)
11月12日(水)DDTプロレス(午後7時)
11月16日(日)全日本プロレス(正午12時)
11月19日(水)ドラディション=藤波辰爾興行(午後6時30分)
11月21日(金)大日本プロレス(午後7時)
11月22日(土)新日本プロレス(午後6時30分)
11月24日(月=祝)ZERO-1 (正午12時)
11月24日(月=祝)プロレスリング・ノア(午後6時30分)
11月27日(木)ASUKA PROJECT(午後6時30分)
11月30日(日)DDTプロレス(正午12時)
11月30日(日)WRESTLE-1(午後6時)
後楽園ホールの歴史をひも解いていくまえに、昭和のプロ格闘界の動きをかんたんにおさらいしておく必要がある。戦後、日本に初めてプロボクシング・コミッショナーが発足したのは1952年(昭和27年)4月で、日本初のプロボクシング世界タイトルマッチとして白井義男対ダド・マリノ(アメリカ)の世界フライ級選手権試合が後楽園球場でおこなわれたのが同年5月19日。翌1953年(昭和28年)7月、アメリカ武者修行から帰国した力道山が日本プロレス協会を設立。それから4年後の1957年(昭和32年)10月7日、“鉄人”ルー・テーズ対力道山の日本初の世界選手権試合が後楽園球場で開催された。プロボクシングもプロレスも、“史上初”の世界タイトルマッチはプロ野球読売ジャイアンツの本拠地・後楽園球場がその舞台だった。
後楽園ホールの前身は柔道の旧講道館本部水道橋道場で、1958年(昭和33年)6月、講道館本部が文京区春日へ移転したさい、同道場が“後楽園ジムナジアム”として全面改修されたのがこの建物のルーツだ。プロボクシング興行の常設会場として正式にオープンしたのは1962年(昭和37年)1月で、同所でプロレスの試合が初めておこなわれたのは1966年(昭和41年)11月、旧日本プロレス“ウィンター・シリーズ”の興行(メインイベントはジャイアント馬場対ルイス・フェルナンデスのシングルマッチ)。翌1967年(昭和42年)から正式名称が後楽園ホールに改称された。“ボクシングの聖地”としての歴史はことしで56年で、“プロレスの聖地”としての歴史は48年。“ボクシングの聖地”としてスタートを切った後楽園ホールは、時代の移り変わりとともに“プロレスの聖地”へと姿を変えていったということなのかもしれない。
後楽園ホールにやって来るプロレスファンは“聖地”のレイアウトを熟知している。後楽園ホールビルの5階の後楽園ホールにたどり着くためにはビルの西側の階段かエレベーターを利用することになるが、気合の入ったマニア層は試合開始の何時間もまえから階段に“行列”をつくる。1階から5階までらせん状につながる紺色のコンクリートの壁には無数のグラフィティ――プロレスファンの主義主張、試合に関する感想やコメント、選手のゴシップ、批判、問題提起など――が書き殴られていて、それらが消されないまま何年も何年も放置され、トピックによっては情報が更新され、上書きされたりしている。
5階のエレベーターを降りて正面入り口から入場すると各種グッズ売り場、売店などが設営されたロビーがあって、そのまままっすぐに進んで短い階段を上がると南側のオレンジのボックス席、ロビーから右方向へ曲がっていけばホール東側、左に進んでいけばホール西側の客席に向かうことができる。リングをはさんで“向こう正面”は北側のヒナ壇で、北側の客席の後ろにはビデオスクリーンが設置されている。常連層の観客は開場時間と同時にホールのロビーからさらに右側の階段を上がっていって、東側と西側のバルコニーの“天井桟敷”に自分たちだけのスペースを確保する。
多目的イベント会場としての後楽園ホールの面積は575平方メートル。南側ボックス席(固定席)は780席、可動席の東側と西側はそれぞれ109席ずつ(218席)、北側は405席で、総席数は満員で1403席。リングサイドのイス席の並べ方、立ち見スペースのぐあいでキャパシティーは微妙に変わるが、ホール側が提示している最大収容人数は2005人。プロレスの興行で北側ステージ席(西)、北側ステージ席(東)としてセッティグされる左右30席ずつのスペースは、あまり知られていないことだが、ロープとキャンバスが撤去されて同じサイズのふたつの長方形に切断された状態のボクシングのリングの土台がそのまま使われている。通常、プロレス団体サイドは1000人以上の動員で“満員”、“超満員”のときは1700人という観客数を発表しているが、80年代後半あたりまでは後楽園ホールの“超満員マーク”はなぜか“3300人”という架空の数字で統一されていた。
使用料金については、平日の興行の場合、午前9時から午後10時までのあいだの6時間レンタルで60万円。土、日、祝日は昼間(午前9時~午後3時)が90万円、夜間(午後4時~午後9時)が98万円で、終日(午前9時から午後9時)だと133万円。試合の映像を収録する場合は、ビデオカメラ1台ごとに定額の撮影料金が発生し、これ以外にも館内の演出照明設備料、スクリーン、パイプいす、テーブルなどの利用に別途実費がかかる。メジャー団体も弱小インディペンデント団体もこのあたりの経費はまったく変わらない。
日本のプロレス・シーンがまだジャイアント馬場の全日本プロレスとアントニオ猪木の新日本プロレスの2大メジャー団体だけを中心に動いていた時代、後楽園ホールはシリーズ興行の開幕戦、中盤戦がおこなわれる中規模サイズの試合会場だった。シリーズ最終戦の“大場所”は新日本プロレスなら両国国技館、全日本プロレスなら日本武道館というワンランク上のアリーナで開催され、1万人クラスの大観衆を動員するビッグイベントが全国を巡業しながらの数週間のシリーズ興行のクライマックスになっていた。
後楽園ホールが“聖地”としてのステータスを不動のものとしたのは1984年(昭和59年)に“第3団体”UWFが出現したあたりからだった。新日本プロレスから分裂して誕生したUWFは、後楽園ホールを本拠地に、後楽園ホールに集まってくる“知識層”をターゲットにプロレスの改革をスローガンにかかげた。平成以降に発足した新団体群は、大仁田厚のFMWとそのスピンオフのW★INGとIWAジャパンも、ルチャリブレのユニバーサル・プロレスも、女子プロレス各団体も後楽園ホールを“聖地”とした。
後楽園ホールの“1700人”のキャパシティーは、メジャー団体にとってはミニマムな数字であり、弱小インディー団体にとってはハードルの高い数字ということになるのだろう。ひじょうに不可解なことではあるけれど、東京ほどの大都市に――プロレスの試合会場にちょうどいいサイズと思われる――3000人から5000人くらいを収容する円形のアリーナがほとんどみあたらない。新木場ファーストリング、新宿FACE、ディファ有明といった新しいアリーナはいずれも後楽園ホールよりもちいさく、後楽園ホールよりも大きいところだと両国国技館、日本武道館、有明コロシアム、近郊エリアでは横浜アリーナ、さいたまスーパーアリナのように1万人、2万人超の大アリーナになってしまう。
“映画ファン”や“音楽ファン”があるひとつのオーディエンスの集合体ではないのと同じように、“プロレスファン”もまたまったく同じひとつのオーディエンスの集合体ではない。映画のなかにも音楽のなかにもいろいろジャンルがあるように、プロレスのなかにもさまざまなジャンルが存在する。団体によって、あるいはそこにいるレスラーによってスタイルのちがい、カラーのちがい、テイストのちがいがある。“こういうプロレス”も“ああいうプロレス”もあって、“こういうファン”も“ああいうファン”もいる。
12月の後楽園ホールのプロレス興行の日程は19団体21大会(男子14団体、女子5団体、2自主興行)。ほとんど毎日のように試合がある。プロレスの興行がおこなわれていない日にはプロボクシング7興行、キックボクシング2興行の日程が入っている。
12月3日(水)ドラゴンゲート(午後6時30分)
12月4日(木)OZアカデミー(午後6時30分)
12月5日(金)リアルジャパン・プロレス(午後6時30分)
12月10日(水)フォーチュンKK=小橋建太興行(午後6時30分)
12月11日(木)東京愚連隊興行(午後6時45分)
12月12日(金)みちのくプロレス(午後6時30分)
12月14日(日)全日本プロレス(正午12時)
12月16日(火)ドラゴンゲート(午後6時30分)
12月19日(金)新日本プロレス(午後6時30分)
12月20日(土)新日本プロレス(午後6時30分)
12月22日(月)WRESTLE-1(午後6時30分)
12月23日(火=祝)DDTプロレス(正午12時)
12月23日(火=祝)スターダム(午後6時)
12月24日(水)ZERO-1(午後7時)
12月25日(木)FREEDOMS(午後7時)
12月26日(金)REINA(午後6時30分)
12月27日(土)プロレスリング・ノア(午後6時)
12月28日(日)アイスリボン(正午12時)
12月28日(日)JWP女子プロレス(午後6時30分)
12月30日(火)大日本プロレス(午後6時30分)
12月31日(水)年越しプロレス(DDT&大日本&K-Dojo合同=午後8時~)
19団体21興行のすべてに“1700人”の超満員マークがついたとしても観客の総数は3万5700人だから、この数字では東京ドームはいっぱい――プロ野球のジャイアンツ戦の1試合分――にならない。そういう意味では、プロレスのオーディエンスはとことん細分化されていて、プロ野球ファンのような大きな集合体にはならない。でも、プロレスファンのほうではそういうことはあまり気にしない。プロレスが大好きな人たちにとっていちばん大切なのは、あくまでもプロレスラーとオーディエンスのパーソナルな関係。それぞれのプロレス団体がそれぞれのリングでどんなプロレスをみせてくれるか、選手と観客とが一期一会の空間でいったいなにを共有できるかである。
文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ
※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。
※このコラムは毎週更新します。次回は、11月11~12日頃に掲載予定!
この連載の前回記事
この記者は、他にもこんな記事を書いています
ハッシュタグ