イスラム国の誤算は「後藤健二さんの奥様のメッセージ」にあった
湯川遥菜さんに続き、後藤健二さんを殺害した「イスラム国」。その最後の動画では、「安倍よ、勝ち目のない戦争に参加するというお前の無謀な決断のために(中略)お前の国民がどこにいても殺されるだろう」と、さらなるテロ行為に言及した。これを受けて、日本政府は在外公館に日本人の安全対策強化を指示。中東進出企業も警戒レベルを引き上げている。
日本に恐怖心を植え付けたという点で、その残虐非道なテロ行為には一定の効果があったのかもしれないが、実は今回の人質交渉でイスラム国に綻びが見えたとする専門家もいる。『イスラム国の正体』(朝日新聞出版)の著者で、元シリア大使の国枝昌樹氏が話す。
「イスラム国はもともと一枚岩ではありません。幹部の多くのはサダム・フセイン時代のイラク軍将校や行政官などバアス党出身者ですが、このバアス党は同じイスラム教スンニ派のなかでも世俗主義的です。一方、最高指導者で自らカリフを名乗っているバグダディは『サラフィー・ジハード主義』という、コーランが生まれた7世紀当時のイスラム社会を取り戻すために武力闘争もいとわないという原理主義派。世俗主義と原理主義という異種が共存するなかに、他国からは多くの軍人が集まってきたのですから、統率がとれるはずもありません。その証拠に、昨年末にはフィナンシャル・タイムズが『イスラム国から外国人戦闘員が100人以上逃亡を試み、処刑された』と報じていますし、これまでに2000人以上が脱走したとも言われています」
最近でもシリア人ジャーナリストがフェイスブックに「イスラム国の警察組織ヒスパの指導者が部下50人を連れて逃亡した」と書き込んだように、イスラム国内部は分裂模様。そのため、今回の人質交渉には組織引き締めの狙いがあった、というのが国枝氏の見方だ。
「サッカー観戦した少年兵を斬首の刑に処し、外国人兵士にはクルマのハンドルに手をくくりつけてでも自爆テロをさせるなど、イスラム国は自分たちの兵の命さえも軽んじています。そのやり口に対する内部批判を丸め込むために、サジダ・リシャウィ死刑囚の釈放を求めたのだと思われます。リシャウィは2005年のアンマンでの爆破テロに関わった人物で、イスラム国の前身である『イラクの聖戦アルカーイダ組織』を組織したアブ・ムサブ・アルザルカウィ(バグダディの前の最高指導者)の幹部と近いと言われていますが、実際にはアルカーイダに所属する夫に命じられて自らも自爆テロに及んだ、ただの女性です。リシャウィを釈放させ、イスラム国に取り込んだとしても、彼女自身には統率力も資金力もない。一人の女性として見れば、イスラム国には大した価値がないのです。それなのに一方的にリシャウィの釈放を求めたのは、『イスラム国は戦士たちを決して見捨てない』という、内部に対するメッセージとしか考えられません。初めは72時間以内に2億ドル用意することを求めていながら、期限を24時間以内、日没まで……と都合よく延長したのも、『戦士の釈放のために、イスラム国は最大限の努力をする』というアピールだったように見受けられます」
ならば、後藤健二さんを交渉材料とせず、イスラム国が人質にしているヨルダン軍パイロットのモアズ・カサスベ中尉との交換を求めるべきと思われたが、そこにはイスラム国の打算が見え隠れする。
「ヨルダンのフセイン前国王がもともとパイロットだったように、パイロットを務める兵士はいずれもエリート中のエリート。有志軍のなかでアラブ首長国連邦(UAE)の空爆部隊を率いている初の女性パイロットも、国内でヒーローのように扱われています。つまり、パイロットというのは人質として非常に価値の高い人間なのです。イスラム国としてはカサスベ中尉を使えば、いくらでもヨルダンから譲歩を引き出せると考えたはずです。一方で、先ほどいったように、リシャウィ死刑囚は“ただの女性”。だからこそ、はじめはカサスベ中尉とリシャウィの交換を要求していたのに、途中から『リシャウィとパイロットでは釣り合わない』と、後藤健二さんとの交換に変更したのでしょう」
だが、交渉条件を変更したことで、イスラム国は思わぬ誤算を生んだという。
「1月29日には後藤健二さんの奥様が世界に発信したメッセージはイスラム国にとって予想外だったはずです。イスラム国から強要されてのメッセージだったようですが、その文面は務めて冷静でした。『両政府の懸命の努力に感謝しています』と、日本とヨルダン政府に感謝の念を示し、自分の夫だけでなくカサスベ中尉の無事を祈ると綴りました。イスラム国は、自分の夫の身を案じて、ひたすらヨルダン政府にリシャウィ死刑囚の釈放を求める……と予想していたはずです。そうして、ヨルダン、日本の両政府に対する圧力が強まるだろうと。そんな目論見はもろくも崩れたわけです」
人質解放交渉は最悪の結末を迎えてしまったが……決してテロに屈しない姿勢はイスラム国に伝わったはずだ。 <取材・文/池垣完(本誌)>
『イスラム国の正体』 新たなる同時テロの火種か、単なるテロ集団か──世界中の若者を引きつける武装組織「イスラム国」の現状・未来とは? |
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