更新日:2017年11月16日 19:16
ライフ

プロレスの“本流”はショートタイツかロングタイツか?――「フミ斎藤のプロレス講座」第27回

 プロレスの“本流”はショートタイツか、それともロングタイツか? “本流”なんて単語を使うとずいぶん大げさな議論のようになってしまうけれど、かんたんにいえばプロレスラーのリングコスチュームのおはなしである。
プロレスの“本流”はショートタイツかロングタイツか?――「フミ斎藤のプロレス講座」第27回

フランク・ゴッチ対ジョージ・ハッケンシュミットの統一世界ヘビー級選手権(1908年4月3日=イリノイ州シカゴ、デクスター・パビリオン)。F・ゴッチ(上)がロングタイツで、ハック(下)がショートタイツを身につけているのが確認できる。

 ショートタイツは男性用下着のブリーフと同じような形をした、いわゆる“海水パンツ”スタイルの短いタイツで、ロングタイツは腰、大腿部からヒザ、ふくらはぎのあたりまでの下半身全体をカバーする長いタイツをいう。どちらもプロレスの試合用のコスチュームとしてはもっともスタンダードなスタイルだ。そもそも、プロレスというスポーツには――柔道には柔道着、野球には野球の、フットボールにはフットボールのトップ・アンド・ボトムがあるように――こういうデザインの、こういう素材の衣類を着用して試合をしなければならないという公式ユニフォームのようなものはない。 “プロレスの父”力道山のトレードマークは黒のロングタイツだった。ジャイアント馬場さんはいつも赤のショートタイツを愛用し、アントニオ猪木さんは“ストロング・スタイル”の象徴である黒のショートタイツと黒のリングシューズを身につけていた。馬場さんがロングタイツをはいているシーンはちょっと想像しにくい。  力道山が黒のロングタイツを定番のコスチュームにした理由については諸説がある。古い文献によれば、力道山が初めて黒のロングタイツをはいてリングに上がったのは1952年(昭和27年)4月。同年2月に日本を離れ、ハワイで武者修行生活をスタートしてから2カ月後のことだったといわれている。  力道山に黒のロングタイツをはかせたのは、ハワイで力道山のコーチ役をつとめた元プロレスラーで日系アメリカ人の沖識名(おき・しきな)という人物だった。沖は力道山に1900年代初頭の“統一世界ヘビー級王者”フランク・ゴッチのイメージを重ね合わせたのだという。これが諸説のなかでいちばん有力とされている“フランク・ゴッチ説”だ。沖はその後、日本プロレス協会のチーフ・レフェリーとして70年代前半まで活躍。悪役の外国人レスラーたち――映像に残されている有名な試合では“生傷男”ディック・ザ・ブルーザー、“粉砕者”クラッシャー・リソワスキーら――にリング上でシャツをビリビリに破かれるシーンが昭和プロレスの隠れた名場面としていまも語り継がれている。  もうひとつの説は、力道山の大腿部の裏側には大きな手術の傷あとがあり、それを隠すためにロングタイツを着用したというもの。また、力道山は足が太く短かったためショートタイツが似合わなかったのでロングタイツを試したとする説、ドロップキックの練習中にヒザを痛め――それでドロップキックは使わなくなった――、患部を保護するためにロングタイツをはいたとする説もある。真相はナゾのままだ。  黒のロングタイツのルーツとされるフランク・ゴッチは1877年、アイオワ州ハンボルト生まれ(ウィキペディアは1878年生まれと誤記)。19世紀の終わりから20世紀初頭にかけてのプロレス黎明期の“家元”として活躍し、ヨーロッパ版・世界グレコローマン王者“ロシアのライオン”ジョージ・ハッケンシュミットを下して世界ヘビー級王座を統一(1908年4月3日=シカゴ)。3年後におこなわれた再戦(1911年9月4日=シカゴ)にも完勝した。この2度にわたる“世紀の一戦”をへて、プロレスの本場はヨーロッパからアメリカに移ったといわれている。  いまから100年以上もまえのできごとだから試合の映像(動画)はないが、スチール写真や新聞記事のスクラップなどはちゃんと残っていて、1908年の初対決のときはゴッチがロングタイツで、ハッケンシュミットがショートタイツ、1911年の再戦では両選手ともロングタイツを着用しているのが確認できる。いずれもモノクロの写真のため、ゴッチが身につけていたロングタイツが黒であったかどうかは判別できない。  ゴッチ時代以後のスーパースターたち、たとえば“狂乱の1920年代”の重鎮的存在だった“絞め殺し”エド・ストラングラー・ルイスはショートタイツ派で、ルイスの宿命のライバル“胴絞めの鬼”ジョー・ステッカーがロングタイツ派。1930年代に一世を風靡した“黄金のギリシャ人”ジム・ロンドスはショートタイツ派。戦後の1940年代後半から50年代にかけてテレビ世代の“時代の子”としてアメリカじゅうにプロレス・ブームを巻き起こしたゴージャス・ジョージもショートタイツ派だった。 ⇒【後編】に続く https://nikkan-spa.jp/803043
斎藤文彦

斎藤文彦

文責/斎藤文彦 イラスト/おはつ ※斎藤文彦さんへの質問メールは、こちら(https://nikkan-spa.jp/inquiry)に! 件名に「フミ斎藤のプロレス講座」と書いたうえで、お送りください。 ※このコラムは毎週更新します。次回は、2月25日~26日頃に掲載予定!
おすすめ記事