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健康被害の補償なし 自ら復興への道を刻む飯舘村

←【前編】汚染度を隠されていた飯舘村 安全を主張する講演も開催されていた https://nikkan-spa.jp/85360 福島県飯舘村。原発30km圏外でありながら汚染度が高く、現在は「計画的避難区域」となっている。多くの住民は南相馬市や福島市などの近隣自治体に一時避難中で、佐藤健太さん(29歳)も福島市内に避難している。 飯舘村にある佐藤さんの自宅から少し東に向かうと、文部科学省の調査で土壌から0.82Bq/kgのプルトニウムが検出された地点があるとのこと。早速その場所に向かってみた。 ◆自然だけではない……失われた人の繋がり
水田

飯舘村から数十m、隣の自治体の田んぼではコメの収穫が終わっていた。行政区の違うこの田んぼは難なく出荷されている

プルトニウムが検出されたという地点は、谷になっていた。すぐ側を川が流れている。空間線量は少し高くなり、4.5μSvほど。 「子供のころから、ずっとこの川で岩魚や山女を獲ってきました。手づかみでも獲れるんですよ。ウチではコメも野菜もつくっていますし、山に入れば山菜やキノコもたくさん生えている。猪も獲れます。今まで、店で食べ物を買うことはほとんどありませんでした。飯舘に何があると言えば、この豊かな自然と、人の繋がりだけ」(佐藤さん) 飯舘村は原発周辺の自治体とは違い、交付金などの恩恵をこれまで受けてこなかった。そのため農産物や牛肉など、独自の地域ブランドをつくる努力を行ってきた。その努力が、事故によって一瞬のうちに消え去ってしまったのだ。 そこで、「悲しんでいるばかりではどうしようもない」と、佐藤さんら村の若者でつくったグループ「愛する飯舘を還せプロジェクト 負げねど飯舘」で発行したのが、「健康生活手帳」だ。6000部を作成し、避難で散り散りになった村民に配布。3月11日~4月30日の詳細な行動記録と、12年3月31日までの簡単な行動記録を書き込めるようになっている。 兵庫医科大講師の振津かつみ医師や木村真三獨協医大准教授らの監修を受けて作り上げた。
佐藤健太さん

「健康生活手帳」の作成に尽力した佐藤健太さんは「福島県の県民健康管理調査が進んでいないこともこの手帳をつくった理由の一つです」と語る

「今は何ともなくても、10年、20年後に影響が出るかもしれない。そのときに村民がちゃんと補償を受けられるように、記録をとっておくことが重要だと考えたのです」(佐藤さん) 発行は9月末日。6か月前のことを思い出しやすいように、当日の天気や主なできごとなどを記載した『できごとカレンダー』をつけている。 「これを見ながら、少しずつ思い出してほしい。『手帳を書く会』を開催してもらって。あの日そういえば○○さんとこ行って○○してたねーなんて話し合いながら手帳に書いていってほしい。僕たちは飯舘村というコミュニティを失ってしまいました。この手帳が、バラバラになった村民を繋ぐものになってほしいと思っています」 現在、政府には原発事故の健康被害に対して積極的に補償しようという動きはない。そんななかでこの「健康生活手帳」は、住民自らの生命を守り、村の絆を取り戻すためのツールとなっている。
健康生活手帳

1冊1000円。村民以外でも購入できる

【愛する飯舘村を還せプロジェクト 負げねど飯舘!!】 http://space.geocities.jp/iitate0311/ 取材・文/北村土龍 撮影/田中裕司
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