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首相官邸は撮影禁止なのか!? 法的根拠なく任務を実行する警察官の恐怖<鴻上尚史>

― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―  昔、タンザニアとケニアの国境でもめました。  三日間、タンザニアを案内してくれたガイドさんと別れる際に、記念に国境で彼の写真を撮った時です。国境といっても、コンクリート作りの平屋の素朴な建物と遮断機のような棒があるだけでした。  車の横に立つガイドさんを撮った瞬間、いきなり、ケニアの国境警備隊に厳しい顔で詰め寄られました。旅慣れた人だと、こういう迂闊なことはしないのですが、僕は素朴な風景とガイドさんとの別れに油断したのです。これが、物々しい軍事基地だと、もちろん、「あ、これは撮ったらやばいかも」と感じるのですが。  国境警備隊は、カメラのフィルム一本をそのまま提出しろと言いました(まだフィルムの時代だったのです)。が、それには、アフリカ旅行の思い出が一杯写っています。それは渡したくはありません。  必死に英語であやまり、「お前の仕事はなんだ?」と聞かれたので「演劇の脚本とか演出」と答え、「それはなんだ?」というので「ドラマでプレイでアクティングだ」と言うと、僕を取り囲んでいた3人のうち1人が「ジャッキー・チェンか!?」と聞きました。 「イエース、イエース、ジャッキー・チェン! アチョー! チョエー!」と、僕はいきなり空手の型を始めました。フィルムを守るためには、なんでもするぞ、という気持ちになっていたのです。  国境警備隊の3人は笑い、急に雰囲気が和やかになりました。そして、「まあ、しょうがないか。ガイドを撮ったんだからなあ。でも、後ろには国境の風景が写っているんだよ。それはダメなんだから」というようなことをムニャムニャ言いながら許してくれました。  それ以降、僕は海外で写真を撮る時はいつもこのことを思い出します。  そして、いきなり、衝撃的な記事をネットで見つけました。  あるサイトの記者が、国会議事堂の前から、総理官邸に向けてカメラを構えると、「『官邸を写しているのなら、やめてもらえますか』の声。振り向くと、周辺警備の警察官が睨みつけてきた」というのです。 ◆この感性が冤罪と自白を生む  この記者は、30年間、永田町で取材をしているがこんなことは初めてだと書いています。  断っておきますが、これは昭和10年代の記事ではなく、2015年7月8日の記事です。  記者は、あきらかに何の法的根拠もないので「話は承った」と答えて撮影を続けると、「カメラを構えている間中、警察官は傍を離れようとしない。それどころか、『ほとんどの人が納得してくれるんですが』と食い下がってくる。どうやら、撮影を制限するという愚行が、常態化しているようだ」。  つまりは、首相官邸は撮ってはいけないことになっているんですね。何の法的根拠もないままに。  記者が、どこからの命令なのかと聞けば、「官邸からの指示です」と警官は答えたと言います。  さらに、「カメラを官邸ではなく『議員会館』に向けて構えてみた。すると別の警察官が『議員会館は撮らせてもいいのか』と無線で尋ねている」と書きます。これ、怖いです。警官は法的根拠を自省することなく、忠実に任務を実行していることにゾッとします。この感性が強引な自白と冤罪を生むと思うのです。  記者は、取材として官邸に問い合わせたそうです。「どうして、撮影を禁止しているのか?」「その法的根拠はなにか?」と問いかけても、「こちらとしては、警備をお願いしているだけです」という答えをただ繰り返しただけだそうです。中身のあることを言わない政治上のテクニックですね。別の日にまたカメラを構えると、「官邸を撮るな」と警察に言われたそうです。  記者は書きます。「自由主義社会のどこに、国の代表が執務を行う場所の撮影を制限している国があるのか? 思いつく限りでは、北朝鮮という“ならず者国家”しかない」  僕達の国はいつのまにかこんな事態になっています。 ※「ドン・キホーテのピアス」は週刊SPA!にて好評連載中
ドン・キホーテ 笑う! (ドン・キホーテのピアス19)

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