更新日:2017年11月30日 15:49
スポーツ

パイパーが求めた映画というリング――フミ斎藤のプロレス講座別冊 WWEヒストリー第66回

「フミ斎藤のプロレス講座別冊」月~金更新 WWEヒストリー第66回

ロディ・パイパー

ホーガンの宿命のライバル、ロディ・パイパーは“レッスルマニア3”で引退試合をおこないアクション映画俳優に転向。しかし、その後は復帰―引退―復帰を何度となくくり返したのだった(写真は米専門誌「プロレスリング・イラストレーテッド」表紙から)

 “ラウディ”ロディ・パイパーは“レッスルマニア3”で引退試合をおこなった。1980年代のアメリカのレスリング・シーンを代表する超大物ヒール、パイパーは宿命のライバルであるハルク・ホーガンよりもひと足早くプロレスのリングからの“卒業”を試みた。  パイパーの生年月日については“1950年”“1952年”“1954年”の3つの説があった。1972年に15歳でデビューという有名なエピソードから逆算すると“1957年生まれ”になるが、デビューしたときの年齢とそのプロフィルに関しても諸説がある。10代でプロレスの世界に飛び込んだパイパーは、ルーキー時代はその年齢をじっさいよりも上に自己申告し、またある時期からはじっさいよりも若い“プロフィル年齢”を使うようになった。  正確なデータは1954年4月17日生まれだから、ホーガンよりもひとつ年下。“レッスルマニア3”で最初の引退試合をおこなった時点ではまだ33歳だったが、すでにキャリア14年のベテランだった。
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“引退”という日本語と“リタイアretire”という英語にはかなり大きなニュアンスのちがい
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