筑紫哲也の『News 23』が面白かった理由【鴻上尚史】
― 週刊SPA!連載「ドン・キホーテのピアス」<文/鴻上尚史> ―
ジャーナリストの金平茂紀さんに筑紫哲也さんについてインタビューされました。
筑紫さんが亡くなって8年。筑紫さんの本を出そうとして、いろんなジャンルの人から話を聞いていると金平さんはおっしゃいました。
いつから筑紫さんと知り合いなんですかと聞かれて、はたと振り返れば、なんと1985年の『もうひとつの地球にある水平線のあるピアノ』というじつに長ったらしいタイトルの芝居からでした。
驚くことに、そしてありがたいことに、それから筑紫さんは亡くなるまで23年間、僕の芝居をすべて見てくれています。
1985年に初めてお会いしたということをよく覚えているのは、下北沢にあるスズナリという小劇場での公演を見てくれた後、筑紫さんが僕を上品な小料理屋さんに誘ってくれたからです。
僕は27歳で、芝居が終わった後、猛烈に空腹だったのですが、高級なお刺身だけが出て、内心、「こ、米が食いたい!」と思っていました。
筑紫さんはお酒好きで、ニコニコしながら、次々といろんなお刺身を勧めてくれるのですが、腹は一向に満たされず、悶々としていました。
で、最後に「じゃあ、シメで軽く食べますか」という言葉と共に、ご飯が出てきた時に、内心「米あるんじゃないかあ! 最初にお刺身定食でバクバク食いたかったあ!」と強烈に思った記憶があるのです。
当時、僕はまったくお酒が飲めなかったのですが、それ以来、接待の席で「鴻上さんはビールですか? 日本酒?」と聞かれると「いえ、白米を」と答えるようになりました。
筑紫さんは、ずっと僕の芝居を見続けてくれたのですが、芝居が終わると、ただニコニコしながら「いやあ、面白かった」とだけ言って帰られました。
自分でもわかりますが、30年も芝居を見てもらえば、毎回、面白い芝居というわけもなく、そりゃあ、やってしまった失敗作、なんてのも普通にありました。が、筑紫さんはいつもニコニコと「いやあ、面白かった」とだけおっしゃいました。
本当に面白い時に、「いやあ、面白かった。今回はあの点が~だったよね」と語ってしまうと、つまらなかった時も何か言わなくてはいけなくなります。そうすると、批評が始まります。
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